99/01/13
第三回
サダナリ映画大賞
1998年の個人的
ベスト・フィルム





■ 1998年のベスト・フィルム ■



第3位 『シューティング・フィッシュ』 第4位 『オースティン・パワーズ』

逃げる映画、おバカ映画、そしてバカラック


 異常に長くなってしまうので、3、4位はまとめて。柳の下のどぜうを狙うブリティッシュ・ムーヴィーからは『シューティング・フィッシュ』が唯一のランクイン。
 「ネボケたような映画」という声もあったが、ネボケ結構!スペースの歌うテーマ曲と、ふわふわしたタイトル映像に象徴される浮遊感こそがこの映画の魅力だと考えるからだ。

 ディラン(ダン・フッターマン)とジェズ(スチュアート・タウンゼンド)は共に孤児院育ち。テクノおたくのジェズが考え出したトリックで、金持ち相手に詐欺を続ける2人。中でも一番の「目玉商品」は高度な人工知能を搭載した音声認識コンピューターシステムだ。このシステム、利用者が話しかけると音声で的確に返答する。それもそのはず、声の主は隣の部屋に控えているバイトの女子医大生ジョージー(ケイト・ベッキンセイル)なのだ。
 彼らには共通の夢がある。それは不幸だった子供時代の正反対にある「大邸宅に住むこと」であった。毎日のダマシのシゴトもそれに向けての資金づくりなのだった。

 なんだかんだで詐欺がバレ、乗り込んで来た保守的な大人たちに彼らの夢の御殿、使われなくなったガス・タンクの中の隠れ家が破壊される。「豊かな英国の象徴」を叫びつつ、彼らの住まいを叩き壊す大人たちを観ていると、英国人でもないのになんとも絶望的な気持ちになってしまうのが不思議だ。
 アンラッキーはさらに続く。遂に2人は捕まってしまい刑務所に放り込まれる。さらにさらに2人が蓄えてきた豪邸購入資金の200万ポンド−なぜかこれが全て50ポンド紙幣なのだが−それが紙幣の切り替えで全て「紙切れ」になってしまうというのだ。さぁ、どうする!。


Jez-Dylan-Georgie


 結末を書いてしまうと、エンディングは心からのハッピーエンド、芝居上手なジョージーの機転で問題は解決、実は地方の大金持ちだった彼女とジェズが、彼女の姉とディランが結ばれて本当に大邸宅に住む、というものだった。
 ここでのジョージーの大芝居が、まぁ幼稚なものだが、なんとも笑えてしまう。しかもジェズがデマカセに書いたコンピューターの回路図が、見事に動作するものだったことも判明、本当の大金持ちにもなってしまう、というオマケ付きだ。
 後半部分は映画オタクの監督が仕掛けた、名作からの引用も数多く含まれている。『卒業』、『オーシャンと11人の仲間』...大量の札束をカバンに詰めて、ドタバタするところは、もしかして伊丹十三監督の『あげまん』(平成元年)?まさかな(笑)。

 実は、弱者の映画である。前述の通り、主人公の2人は孤児院育ち。オープニングで、幼いジェズが器用な手先で大邸宅の模型を作り、「こんな家に住みたい」を夢を語るが、「孤児が住めるものか」と言い切られてしまう。階級制の厳しいイギリスならではの、残酷な物語の始まり。生まれた時に、既にその人生の何割かは決まっている、しかし、本当にそれを覆すことは出来ないのか?が以降の主題となる。
 さらに相棒のディランは「失読症」という気の毒な病気でもある。目にした文字が文字として意味を成さない脳の障害である。これも大きなハンディ・キャップ。仕事に就くにも、生きて行くにも大変な苦労がある。詐欺を見破った相手から「ミッキー・マウス」と書かれた小切手を掴まされるくだりは観ていても辛い。そしてさらに、ジョージーの弟がダウン症だった。後半、中心となる3人を見守る彼の眼差しが温かかった。
 保守的な、選ばれし者たちが主権を握るイギリスで、アウト・サイダー(おまけにディランはアメリカからの移住者でもある)が知恵を絞り生き抜いて行けるか、という逞しい主題に気づくと、彼らの「知恵」が「詐欺」であることを忘れ、必死に応援したくなる(笑)。

 '98年に数多く公開されたブリティッシュ・ムーヴィーの「力作」ではなく、この「ネボケた」作品を私が評価するのは、「哀しく深刻で、明るく楽しい」からだ。
 派手な撃ち合いがあったり、政治色が濃かったり、人間達が眉間に皺を寄せていたり...どうしようもない大英帝国の姿を描くためにそうなってしまうのも仕方がないかと思う。しかし、映画人として、表現者として、もう一歩突き抜けて、さらには出来ることならば自らをも笑い飛ばして欲しい、と期待してしまうのだ。

 '97年公開の2作品、『ブラス!』にはクラシック音楽という強固な美学があり、『フル・モンティ』にはやけっぱちの笑いがあった。そしてこの『シューティング・フィッシュ』のテーマは「バカを仕掛けて、逃げ延びろ!」であったように思う。川島雄三の『幕末太陽傳』(昭和32年・日活)にも通じる私の大好きな表現方法だ。
 この映画も実は前述の通り深刻な問題を孕んでいる。しかしそうした事柄を決して深刻にならずに、極めてポップに、しかもわざと「ネボケた」様に描いたのではないだろうか。こうした洒脱さも大好きな感覚である。

 この「突き抜ける」「逃げ延びる」感じに非常に共感した。なんか、異常に難しい文章になってしまったなぁ(苦笑)。映画の方はポップで、わかりやすくて、笑えて、ハッピーです。みんな観てね !! 。





 なんだよ、相変わらず長文じゃねぇか(苦笑)。さて、『オースティン・パワーズ』だが「映画としてはまぁまぁだ」と文句を付けつつも2回観に行ってしまった(笑)。しかも上映途中で「イエ〜ィ!」とか騒いでしまった。シネセゾン渋谷のお客さん、ごめんなさい。
 『カジノ・ロワイヤル』や『電撃フリント』、オリジナル007シリーズといった'60年代スパイ映画の要素をふんだんに盛り込みつつ、'90年代的なカルト風味で要所々々をまとめた、古き良きスパイ映画に対する愛情溢れるパロディー作品である。そして芝居もギャクもアクションも、もう、絶望的なおバカ丸出し。こういうコメディ、久しぶりだなぁ(涙)。

同じカッコウで
踊りながら観たいイエ〜ィ
 '60年代に冷凍人間となった英国の秘密工作員オースティン・"デインジャー"・パワーズ(マイク・マイヤーズ)が、同じく冷凍人間となり、ファースト・フード・チェーン「ビッグ・ボーイ」の巨大な人形をかたどった人工衛星に身を隠していた宿敵ドクター・イーブル(マイヤーズ二役)の復活に合わせて、'90年代に登場。時代のギャップに笑われつつも、地球壊滅の危機を救う、というスパイ映画の王道を行くストーリー立て。まぁ、こまかいストーリー紹介は省略する。笑いたかったらともかくみれ!。

 '90年代のアメリカに、'60年代の「スウィンギン・ロンドン」をいかにして「引っ張り出すか」という難題を「冷凍人間」というおバカな道具を用いて、問答無用でクリアしてしまった。クインシー・ジョーンズのテーマ曲に始まり、セルジオ・メンデス、バート・バカラックなど'60年代的プレゼント(すべて今まで私がこのページで書いたものばかりで驚いた)が嬉しいが、肝心のバカラックご本人登場シーンが少々安直であった。あの前後がもう少し練れていたら、もっと上位に食い込んだのだが。私は別の演出方法を思いついたぞ(のちほど発表)。

 おバカさん映画ではあるが、あえて主題を探せば'60年代後半のラヴ&ピースな精神が結局何を残したか、そしてそれは'90年代の今、どのように変質したか、ということの様だ。
 '60年代後半から突如'90年代に蘇ったオースティンが、時代の変化を理解せず「ラヴ&ピース&フリー○ックス」の精神で遊びまくり、'90年代のエリート女性である相棒のミス・ケンジントン(エリザベス・ハーレー)にキツく叱られるあたりがヤマ場か。
 '60年代との決定的な相違に気づいた彼が、そのギャップを取り戻そうと往年のロック・スターの消息を辿ったり(その殆どは死んでいる)、アポロの月面着陸や、ベルリンの壁崩壊をビデオで見たりして必死にもがく。そして得た結論をラスト近く、宿敵イーブルとの対決シーンで披露する。「自由は健在さ。今は自由と責任の時代だ。イカスじゃないか」と。このセリフ、ちょっとイイ感じだ。このセリフを言う時のオースティンの表情も良かった。
 銃口に花を差し込んだり、車座になって歌を唄ったり、あるときは催涙弾と戦ったり、死者まで出したりしながら得た「自由」ってヤツも、30年近く経つとそれなりに「責任」を伴って来るのだ、ということをさりげなく言いたかったのかもしれない。

 あまりにも「音楽・映画ファンの内輪ウケ」的性格が強いので、ベスト作品として扱うことはどうかとも思ったのだが、ラストのコチンコチンに凍りついたネコの姿を思い出し「せめて4位には入れよう」と思い直した(笑)。あのエンディングからすると続編もあるのだろうか?ちょっと楽しみである。





 さて、おまたせしました。みなさん御期待の通り、この2作品に於けるバート・バカラックさんについてコメントを。いやー、『オースティーン...』の配給元の松竹富士からメール貰いまして、日本版のオフィシャル・ページから「日本に於けるバカラック解説ページ」としてリンクされちまいました。メニューからバカラック・ページに飛びやすいように、こんなおバカなアニメまで作ってしまって(苦笑)。

 個人的には本人登場の『オースティン...』よりも、さりげなく、それでいてコダワリつつ使われていた『シューティング...』の方が良かったなぁ。愛を、感じました(笑)。
 オフィシャルからリンクして貰ってこんなこと言うのもなんなんだけれど、『オースティン...』あまりにも唐突なんだよ、登場が。まぁオープン・トレラーの上で優雅に微笑みつつピアノ弾き語りをするバカさんご本人という、もう、この上なく贅沢かつビザールな使い方ではあるんだけどね(笑)。
 私なら、オースティンが往年のロック・スターの消息を辿るシーンで、「ジミ・ヘン、死亡、ドラッグ。ママ・キャス、死亡、ハムサンド...」の次に、「バート・バカラック...トゥナイト・ショウ!」とか書いて、会場に走らせたなぁ。折しも場所はラスベガス、'60年代から保管してあったLPレコードという小物まであるのに。もしもそういう進行で、オースティンとバカさんの「ご対面」となっていたら、私はホロリと泣いていたかもしれない。

 その点、本人は登場しないけれど、『シューシング...』では極めてリーズナブルかつ丁寧な使われ方をしていた。主人公2人がバカラックの大ファン。ガスタンクの隠れ家のシーンでは必ず、バカラックの顔の絵皿の掛かったジュークボックス(なんじゃありゃ?!)から有名なナンバーが流れていた。ジョージーの実家のある田舎町に行くシーンでも、車を追った泳ぐ様な空撮に合わせて、「サン・ホセへの道」...いやー、あのシーンは良かった!。
 前述の通り、バカさんへの確かな「」を感じたのだ。あ、もしかすると、詐欺の被害者達があの隠れ家をブチ壊すシーンで私がココロを痛めたのは、バカさんの絵皿が粉々に叩き割られていたかもしれないな。




■ 次点作品 ■


 さて、次点作品。5位候補としてはウディ・アレン・ジャズ・バンドのドキュメンタリー『ワイルド・マン・ブルース』、スパイク・リー監督の静かで強いブラック・パワー・ムーヴィー映画『ゲット・オン・ザ・バス』があったが、前者はウディの人となりを知らないと充分には楽しめないという理由、後者は物語がイマイチ弱いという理由から見送った。
 しかしまぁ、『ワイルド・マン...』結構笑えるので機会があればご覧下さい。詳しい解説は12月公開の「ジャズ映画大特集」に書きました。下の写真をクリックするとそちらに飛びます。


『ワイルド・マン・ブルース』

へんてこな映画です


 あと有力かと思った"明るくエグい"レイト'70'sポルノ・カルチャーの青春物語、『ブギー・ナイツ』だが...'70年代後半を描いた前半1時間30分は本当に面白かった。しかし、物語が'80年代に入るころから展開がモタつき始め、物語も面白くなければ、バックの音楽もサッパリになってしまった。それから1時間、正直ダルかった。演出や時間配分も雑だし、なによりも選曲が酷い。'82〜'83年のロックがあんなに退屈なもの?とんでもない!リアルタイムで聴きまくっていた私は怒りさえ覚えたぞ。
 「駄目な'80年代」の象徴としてあれらの曲を用いたのか?それならば、やはり間違っている。あの選曲、「駄目ですらない」のだ、「無意味」なのだ。あの頃、今となっては苦笑いしてしまうような、愛すべき(?)駄目ロックが沢山あった。そうした曲たちを滝のように聴かせて欲しいと思ったのは私だけではないだろう。
 この選曲に象徴されている様に、後半1時間、なんとも視点のボヤけた冗長な映像が続いていた。力が尽きたのか、訴えたいものはあったのだが(確かにあったと思う。それは伝わった)、表現方法を見つけられなかったのか...。

 邦画では評判の高かった田中麗奈主演の『がんばっていきまっしょい』(磯村一路監督)がイイ線行っていた、が、あっさりしすぎの脚本に少々不満もあり。「ユルい周防正行」と言ったら顰蹙か(苦笑)。でも正直、そういう感じだった。
 '70年代後半の、地方に住む女子高生の競技ボートの物語−最高の題材ではないか。もっと熱くなれる映画かと思ったのになぁ...。

 先に「見落とし作品」を書いてしまうが、気になる順で言って、今まで全作品を観ていたアン・リー監督の『アイス・ストーム』、同じく全作品を観ているジム・ジャームッシュ監督のニール・ヤング&ザ・クレイジー・ホースのドキュメンタリー『イヤー・オヴ・ザ・ホース』。やはり全作品を観て...といっても2本だが(笑)のダニー・ボイル監督の3作目『普通じゃない』あたりか。
 『イヤー・オヴ...』は友人が何人か観て絶賛していた。マズイな、観なければ。なんたって私はニール・ヤングの大ファンなのだ。逆に『普通じゃない』は何人かの友人の間で賛否両論(笑)。ある意味で気になる作品ではある。そして『アイス...』、誰も「観たよ」という人がいない。私、アン・リー監督の熱心なファンなんですが、ヘンですか?。いずれの作品も「観たよ」と言う方はご感想をお教え下さい。どうだったですか?。




■ 部門賞のかわりに「期待ハズレさん」大集合 ■


 今年は俳優ベスト、音楽ベストはなし。かわりに去年は書かなかった「期待ハズレ作品」について少々。まず最初に言いたいのが、「ブリティッシュ・ムービーを過大評価するな」である。一昨年の『トレイン・スポッティング』や『ウォレスとグルミット』、去年の『フル・モンティ』や『ブラス!』などイギリス産作品を高く評価した私だが、今年はちょっと期待ハズレもあった。でも今、東京では「ブリティッシュ・ムヴィー」って集客力高くて、クソもミソも超満員なんだよなぁ...。

 まずは『フル・モンティ』の名優・ロバート・カーライルの新作『フェイス』。良く出来た予告編につられて観に行ったが...バイオレンス?ドラマ?謎解き?いずれも中途半端で、観終わったあと、なんともしっくり来なかった。もしも「謎解き」だというのならば、もういきなりバレバレだぞ、あれ。しかしその翌日、別な劇場で再び予告編を観ると、これが未だに面白く観えるから皮肉なもの(笑)。
 さらにハズしてくれたのが『ブラス!』のピート・ポスルスウェイト主演の『マイ・スウィート・シェフィールド』。巨大な高圧鉄塔を塗り替えるクライマー達のドラマと聞き、電線メーカー勤務の映画ファンとしては「必見!」と思い馳せ参じたが...シェフィールドの広大な風景や、逞しくロマンチックな高圧鉄塔の巨大なスケールに比べて、人物心理や物語のスケールのチンケなのなんの。申し訳ないが全くココロを打たれなかったよ。貴重な「電線映画」(他にも何本かある)なのになぁ...。

 やはりイギリス映画、一大グラム・ロック叙事詩である『ベルベット・ゴールド・マイン』もイマイチさん。「ロック映画に名作なし」を信条としている私だが(まぁ数本例外もあるが)、この作品も御多分に漏れず、だった。
 まず2時間4分が長過ぎる。さらに語り手を務めたジャーナリスト役がカッコ悪過ぎる。そして主人公、ブライアン・スレイドなるグラム歌手の「現在の姿」がダサ過ぎる('74年のデ・パルマ作品『ファントム・オヴ・パラダイス』に出てくるギンギラ・ロック歌手"ビーフ"みたいだった、とほほのほ...)。
 音楽的にも無理アリ。ストゥージーズ時代のイギー・ポップのイメージでめちゃくちゃカッコ良く登場したユアン・マクレガーが、'70年代中盤にグラム・ロックのイヴェントでカート・コバーンをイメージさせるグランジチックなステージングをやるところはロック・ファンには「???」な演出である。もしかして、サービスのつもりなのかな(謎)。
 ともかく、役者を使ってロック映画撮るのタイヘンですよ。どうやってもホンモノと比較してしまうものね。そして大体はギゴチなくてカッコ悪いのだ。

 しかしこれらの作品はいずれも「期待した程は面白くなかった」ということで、「ワースト」ではナイのでご注意を。「期待したほど」と「ワースト」では全く意味が違う。そもそも「ワースト」になりそうな作品など、最初から避けて観ない(笑)。

 あと最後にひとこと。超話題のインド産マサラ・ムーヴィー『ムトゥー踊るマハラジャ』は話題づくりの為に真夏の炎天下、2時間も3時間も貴重な観客を路上に並ばせるという愚挙に出た渋谷のシネマ・ライズに抗議する意味で観ていない。'97年にいち早くマサラ・ムーヴィーの第一弾、『ラジュー出世する』をチェックしたにもかかわらず、だ。
 例えば『ブラス!』や『マイ・スウィート...』の有楽町のシネ・ラセットは朝一番からその日一日分の整理券を配り、上映15分前に再集合すればいい仕組みになっている。単純だが実に便利なシステムで、何度もその恩恵を被っている。早めに貰って、待っている間に買い物をするもヨシ、銀座か日比谷の別な映画館でサッと一本観ることも出来るのだ。
 シネマ・ライズはなぜ同じことが出来ない?上記の『ベルベット...』を観に行った時も、12月末の寒空の下、しかも風の強い夕方の5時にビル裏の非常階段に30分近く並ばされた。観客を馬鹿にするのもいい加減にしろと言いたい。それとも望んで「映画館離れ」をして欲しいのか?。




■ 最後にちょっとイイ話 ■


 イヤなハナシは忘れよう!新作以外の洋画邦画、旧作、カルト作等々、「'98年に映画館で観た全ての初見作」の中からベストを選ぶならば、『青べか物語』(昭和37年・川島雄三監督)、『天狗飛脚』(昭和24年・市川右太衛門主演)、『ガルシアの首』('74年・サム・ペキンパー監督)の3本だ。
 


"Bring Me the Head of Alfredo Garcia"


 川島作品は30本以上観ているのだが、その私が、『青べか』の叙情には驚嘆した。川島があんな深い作品を撮れる監督だったとは。『天狗飛脚』には熱狂した。笑いすぎ、興奮しすぎで息が止まるかと思ったくらいだ。思わず劇中で拍手してしまった。地元・大井武蔵野館で観たが、他のお客さんも大騒ぎしていたなぁ。そして、『ガルシア』。あの人間ドラマ、あのタイトル!今回10月初旬の東京・吉祥寺での上映が興行権の関係から「日本最終上映」になってしまったが、本当に、間に合って良かった。

 また長年観たいと思っていた、アメリカで成功した最初のブラジル人女性歌手、カルメン・ミランダのドキュメンタリー『カルメン・ミランダ:バナナが商売』('94年・ブラジル/アメリカ合作)も遂に観ることが出来た。
 ウディ・アレンの映画『ラジオ・デイズ』のエンディングを飾ったあの曲の歌い手の、あまりにも哀しすぎる物語である。'30年代から'50年代にかけて、天才的な歌唱力とエンターテイメントの才能を持ちながらも、頭の上にバナナを乗せて道化に徹した彼女だが、その人生は苦悩に満ち、その死も悲劇的なものであった。
 死の数時間前に出演した現存する最後のテレビの映像、そしてそれに続くブラジルへの遺体の帰還風景には恥ずかしながら落涙してしまった。ドキュメンタリーではあるが、心から感動。この作品についてはいずれ詳しく書く。この映画を観ると、なぜウディがあの曲を劇中で2回使用したかが理解出来る筈だ。


"Carmen Miranda : Bananas Is My Business"


 黒澤明、木下恵介両監督や、評論家・淀川長治氏の相次ぐ逝去、日本映画専門の名画座である銀座・並木座、大井町・大井武蔵野館の閉館など「ある時代の終焉」を思わせる出来事があった。しかしその反対に、BS、CSの「映画チャンネル」の異常な充実というトピックもあった。
 個人的な話題だが、'98年後半にケーブル・テレビ、BS、CSを相次いで導入、映画館で観たのは71本だが、これらを含めると実に倍以上になる(ほとんどは古い日本映画)。昨年が私の、遅れ馳せながらの「衛星放送元年」となった。そしてこれが、なかなか、タイヘンな生活なのだ(笑)。
 日本の映画界−製作側も、興業側も−ちょっとした「世紀末」を迎えているのかもしれない。これについては、また別の機会にゆっくりと記そう。

 旧作の再見(見直し)を含めてのベスト?そりゃもう、暮れに新宿で観た『オーシャンと11人の仲間』('60・米)に決まってるよ!ありゃ人生のベスト5に入るもんな(笑)。あの映画、一体、もう何回観ただろう...。







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