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97/09/23
第二回
ちょっと昔の日本のロックを
聴いてみませんか?


大瀧詠一


'GO!GO!NIAGARA'
(SRCL3500 Sony)


'大瀧詠一'
(OOCO1 Yoo-Loo)


はっぴいえんど


'HAPPY END'
(KICS8101 KING)


小坂忠


'ほうろう'
(ALCA9071 Alfa)


SUGAR BABE


'SONGS'
(AMCM4188 Warner)


鈴木慶一と
ムーンライダース


'火の玉ボーイ'
(Compactron-2
Metrotron)


サディスティック
ミカバンド



'黒船'
(CA30-1410 EMI)

■ 第二部・昭和のシティー・ポップスはとにかくスリリング!

 ハ〜イ!まずはこれから行ってみましょう『GO!GO!NIAGARA』(76年)、DJはイーチ・大瀧こと大瀧詠一、なんとこれは自らのアルバムで、自らのDJで、自曲紹介をしているという革命的な作品なんです。

 しかもこれは単なる企画モノではありません。この番組フォーマットやテーマ、ジングルなどは当時、横浜のラジオ関東(現・ラジオニッポン)で実際に放送されていた大瀧氏の番組にのっとっています。うーん、いいねえ、いい趣味だねえ。最近こんな粋な企画で楽しませてくれるアーチストがいるだろうか?いるか、ピチカートの小西か。
 そう!ピチカート・ファイヴの『月面軟着陸』や『女性上位時代』といったバラエティー・ショウ形式のアルバムの元ネタになったのがこのアルバム。小西氏は少し前に雑誌'STUDIO VOICE'のコラムで「『ゴーゴー・ナイアガラ』はラジオ関東のみのローカル番組で、どんなに苦労して聴いても深夜三時を回ると(高校生の氏が住んでいた)札幌では電波が途絶えてしまった」と書いていたっけ。まあパクリといえばパクリだけれど、遠いところで、しっかり聴いていたんだなぁ。

 もちろん音楽も最高。改めて聴いてみるとプレスリーのようなオーセンティックなロックンロールやツイスト、ドゥーワップの影響が極めて強く感じられます。ではオールディーズのようなサウンドか、とういうと決してそうではない。ここが大瀧氏の本当に不思議なところで、そんな雰囲気を漂わせつつもしっかり現代のポップスになってるんです。まさに天才的職人芸、懐かしくて新しい、これぞ魅惑の大瀧サウンドです。
 しかしこのユーモア精神、素晴らしいね。歌詞や寸劇(そんなものも入っている)は結構クダラナかったりして「なんじゃこりゃ」って感じで思わず苦笑しちゃうんだけど、今こんなにほのぼのとさせてくれるポップスがあるか?と考えるとちょっと思い浮かばない。
 うん、いきなり結論「大瀧詠一は長嶋茂雄である」。動物的天才さ、周りの人を惹き付けナゴませるその卓越したセンス、そして妙に理屈っぽくて、多弁なところなんかそっくりです。

 その長嶋....じゃなかった大瀧氏でもう一枚、絶対にはずせないのが72年発表のファースト・アルバム『大瀧詠一』です。これは最近再発されたCDについて説明しましょう。
 これがすごい。シングル・ヴァージョン、未発表ヴァージョンなどなどを追加して入れるも入れたり21曲、54分20秒。そしてこのCDの最高のポイントが本人による長〜い解説でしょう。70年代初頭の日本のロックを取り巻く状況をこれでもかと言わんばかりに著述した文章は、歴史的にも極めて貴重なものですが、あまりに長過ぎて、CDのスタートと同時に読み始めると、読み終わる前にCDが終わってしまう。「ありゃりゃ」と思ってリピートすると、2回目の真ん中くらいでやっと読み終わるという膨大なボリュームがあります。
 私が読むのが遅いのかと思っていたら、友人Nさんも「あれ、読み終わる前にCD終わっちゃうんですよね」といって笑っていました。書く方も書く方だが、1mm角の米粒みたいな文字を1時間半も読み続けるファンもファンである。そう、このアーティストにしてこのファンあり。大瀧氏とファンとはそうした信頼関係(?)、コール・アンド・レスポンスによって成り立っているのだ。はっはっは。
 
 なんか大瀧さんって音楽以外の話が多くなってしまうな(笑)。音楽についていうと、このアルバムの聴きモノはなんといっても「指切り」でしょう。これはその後、シュガ・ベイブにおいて山下達郎に、第二期ピチカート・ファイブの怪盤『月面軟着陸』では田島貴男によって歌い継がれた、多分日本最古のシーティー・ポップス、最古の「渋谷系サウンド」です。しかしこのスリリングなサウンドが今から25年前に作られたとは!信じられない!
 しまった、ついつい大瀧的雰囲気にハマりたった2枚の紹介でこんなに長〜い文章になってしまった。大瀧氏についてはまだまだ書きたいエピソードがありますが、今日はここまでにしましょう。めくるめく大瀧ワールドはインターネットでも大爆発中。「いったいどんな人なんだろう?」と興味を持ったならば、大瀧氏自ら運営するホームページ'Ami-go Gara-ge'を是非体験して下さい!大推薦です!

 つづいてはその大瀧氏と第一部登場の細野氏が在籍した大御所’はっぴいえんど’です。日本ロック史の名盤とまでいわれる『はっぴいえんど』(通称『ゆでめん』)、『風街ろまん』はもちろん必聴ですが、ここではあえて(あまり評判の宜しくない)3枚目にあたるラスト・アルバム『HAPPY END』をお薦めします。
 理由は単純、カッコイイからです!「メンバー間の音楽的な相違が激しくなり、個々のソロナンバーを並べた様な作品」といわれる『HAPPY END』ですが、バンドの状態はともかくとして、殺伐とした90年代後半の日本に一番しっくり来るのは、醒め切ったこのアルバムではないでしょうか。1曲目「風来坊」のピアノのクレシェンドを聴きながら、ここ1、2年位そんなことを考えています。

 さて、そのはっぴいえんどのメンバーがバックを勤め、75年に発表されたのがやはり名盤の呼び声の高い小坂忠の『ほうろう』です。これはイイ!アルバムとしての完成度からいうと今回ご紹介しているどのアルバムよりも高いのではないでしょうか。小坂氏の魅力はなんといってもゴスペルの流れを汲んだそのヴォーカル。こんな歌い手、ほかにちょっといない。
 「ほうろう」「流星都市」など、どの曲も本当に素晴らしいのですが、今是非聴いておきたいのは「しらけちまうぜ」でしょう。東京スカパラダイスオーケストラのアルバム『GRAND PRIX』で今をときめく小沢健二がカヴァーしたアレです。オザケンも頑張っていたけど、原曲には負ける。アレンジなんか、もう、最高なんですから!
 個人的には2曲目「機関車」の歌詞が心に染みます。「目がつぶれ/耳も聞こえなくなって/それに手まで/しばられても」。これが歌える男性シンガーが今の日本の若手の中にいるでしょうか?
 なんでも最近は宣教師としての活動が忙しくなって、本格的には歌っていない様ですが、ワン・アンド・オンリーの実力派シンガーとしてまたバリバリ歌って欲しいと思います。
 なお、この小坂氏と前出の細野氏を結ぶ線には、はっぴいえんどの前身ともいえる伝説のバンド「エイプリル・フール」がありますが、それについてはまた、いずれ。

 次にそのはっぴえんどの流れを汲むバンドを2つご紹介。まずは山下達郎、大貫妙子が在籍した’シュガー・ベイブ’です。75年発表のアルバム『SONGS』は一家に一枚の名盤。私の友人でこれを持ってない人いないなぁ(笑)。
 この作品はいままで紹介してきた他のアルバムと明らかに異なる、素晴らしいポピュラリティーを持っています。細野氏のところでもポピュラリティーについて書きましたが、あちらが「どんな音楽ファンにでも受け入れられるポピュラリティー」だとすれば、こちらは「音楽ファンに限らず、どんな人達にも受け入れられるポピュラリティー」といえるでしょう。ここらへんが希代のヒットメーカー山下達郎の凄いところですね。KINKI KIDSに熱狂する貴女も、これはきっと気に入ります。
 第一、ここに収録されている「SHOW」は『DAISUKI』のテーマ曲だし、「DOWN TOWN」はかつて『オレたちひょうきん族』のエンドテーマ(EPOによるカヴァー・ヴァージョン)だったしで、みんな絶対に聴いた事ありますよ。ほんと「SHOW」のイントロの高揚感、駄洒落みたいだけど「大好き」です!

 またしても、このアルバムにもピチカート小西氏のコメントあり。高校入学直後の4月にこの作品を手にした小西氏、たったこれ1枚ですっかり音楽の虜になってしまい「高校時代を棒に振ってしまった/勉強も、恋愛もそっちのけで、音楽とレコード集めに夢中になってしまったのだ」そうだ('STUDIO VOICE'誌より)。「勉強も、恋愛もそっちのけ」かぁ、わかるなぁ、私も似たような高校生活だったな。しかしするってえと、今の小西氏があるのは実はこのアルバムのおかげ、なのかな?

 さらに大貫妙子のヴォーカルにもちょっと注目。ター坊といえばそれはそれは巧い歌い手として定評があり私も大ファンですが、実は、その、あの、言い難いなぁ、この頃ハッキリ言ってちょっとヘタなんです。でも私はそんなぎごちないター坊を聴いてもの凄い感動がありました。「ター坊って最初から巧かったわけではないのか!それなりの経験と努力であれほどまでに『完璧』なシンガーになったのか」と思ったら、なぜか感動してしまったんです。いつもクールで「努力」なんて言葉を全く感じさせないター坊ですが、実は努力型なのかもしれませんね。ほんと「人に歴史あり」ですよ。
 ちなみにちょっとぶっきらぼうに聴こえる彼女の歌い方は、バンド'THE CITY'時代のキャロル・キングあたりがルーツになっているのかもしれないな。そういえばこの記事、見事に男性アーティスト中心になってしまいましたが、女性編はキャロル・キング、ローラ・ニーロ、リンダ・ルイス、吉田美奈子、初期矢野顕子、そしてター坊などなど英米日混合でいずれ書きます!

 さてもうひとつが’鈴木慶一とムーンライダース’、アルバムは『火の玉ボーイ』(76年)をご紹介しましょう。はっぴいえんどの弟バンド的存在だったのが東京は羽田のバンド’はちみつぱい’。メンバーの鈴木慶一(Vo,G)、武川雅寛(Vioin)、かしぶち哲郎(Dr)らがはちみつぱい解散後にこの’ムーンライダース’を結成、東京一のカルト・バンドとして20年を経た現在でも現役バリバリで活躍中です(ムーンライダーズについては英語ページにて大々的に紹介しています。是非ご覧下さい)。なんか妙にムーンライダーズのディテール詳しいですが、すいません、10年くらい前、不肖サダナリ、ファンクラブの会長をやっていたもんで....。
 
 数あるムーンライダーズのアルバムの中でも、今聴くならばこの『火の玉ボーイ』に尽きるでしょう。フォーキー、カントリー、ソウルなどなど90年代のトーキョーのキーワードが満載されています。ここまで見事に「一巡」して時代にハマったアルバムも珍しいのではないでしょうか。
 そうそう、3年位前のLIVEでこのアルバム収録のカントリー・ロック「髭と口紅とバルコニー」を20年振りに突然演奏して観客の度肝を抜いていたっけ。ちなみに「火の玉ボーイ」は度々登場の細野晴臣氏をモデルに書かれた曲だそうです。なんかこの文章、みんなくっついてますね、というか当時の日本のロック人脈がそれほどまで強固だったということなんですが。

 えーい、もうついでだ!サディスティック・ミカ・バンドも紹介してしまおう!アルバムは当然『黒船』(74年)。加藤和彦、ミカ夫人、高橋幸宏、高中正義らによるミカ・バンドは私達の世代には超必修科目だったけれど、最近はどうなんだろう?なにしろ今から22年も前にロキシー・ミュージックと一緒にイギリス・ツアーをやって、本場のロック・ファンを熱狂させたという伝説のバンドなんだから、「日本のロック」に興味のある全ての人達に聴いて欲しい!と強く訴えます!

 はい、第二部はここまで。しかしいい時代になったもんです。ここでご紹介した全てのCDは「CD選書」や「CD文庫」などで極めて簡単に、しかも\1500〜\2000という価格で手に入ります。最新ヒットを買う時に、あとちょっとだけ出資して、セットで買ってみてはいかがでしょうか?

 さて、第三部では何で私がこんなに昔のロックにこだわるのか、なぜ今70年代ロックなのかをちょっとまとめてみました。さらなるアーティスト紹介もあり。再びウナギイヌをクリックして下さい!
      

やれやれ、相変わらず長いですね
でも次のページも面白いですよ
とにかく覗いてみましょう
わんわん





マニヤさん向け注釈

『火の玉ボーイ』の名義のモンダイ

 『火の玉ボーイ』は正確にいうとムーンライダーズのアルバムではないかもしれない。ライダーズ結成直前に鈴木慶一のソロアルバムとして制作が開始されたが、諸々の事情で発売時のクレジットは「鈴木慶一とムーンライダース」になってしまったらしい。まあ、要するに過渡期のアルバムである。
 上記の再発CDは「鈴木慶一」名義になっているが、ここではあのころの雰囲気を伝えるため昔の表記を生かした。私は14年前に買ったワーナー盤LPと、数年前に買ったメトロトロン盤CDの両方を持っているが、見比べてみると表ジャケット下部の名前の部分が変更されていた。現在はあくまでソロとして扱いたいらしい。個人的には15年近く「いいレコードだなあ、いいジャケットだなあ」と聴きながら、眺めながらニヤニヤして来たので「鈴木慶一とムーンライダース」の表記が染みついてしまい、どちらかというと「反ソロ派」である。
 確かにライダーズのファーストはキングからの『MOONRIDERS』('77年、通称「赤いアルバム」)であるという声が強い(レコード会社との契約の関係も絡む)が、昨年の結成20周年記念ライヴでは「1枚目の1曲目」として『火の玉..』のオープニング・ナンバー「あの娘のラブレター」を演っていたし、このアルバムの曲はどれもいまだに度々ライブで演奏されている。名義など関係なくメンバー、ファンともに思い入れの強い名盤であるといえよう。

 ちなみに「ムーンライダース」と濁らないのが昔の表記、「ムーンライダーズ」と濁るのが'84年のアルバム『アマチュア・アカデミー』以降の表記である((有)ムーンライダーズ・オフィスにより統一された正式な見解)。しかし口頭ではいまだに「ムーンライダー'す'」と言ってしまう。不思議だ。「ず」と言う人はいない。これはマニアの間ではライダーズ七不思議のひとつと言われている(あとの6つはなんだか知らんが)。さらに「ムーン」と「ライダーズ」の間に「・」は入れない。英語で書く時も「Moonriders」と続けて書くのが通だ。これはバンド名の由来となった稲垣足穂の短編「MOONRIDERS」の表記に倣ったものであろう。
 また'73年ごろに活動したはっぴいえんど、ほうむめいど等とメンバーの入り組んだ「オリジナル・ムーンライダース」というバンドもあり、ここの音源も現在CDにより入手可能である。
 絶対に誰かが突っ込んで来そうなんで、先回りして書いておきました、へへへ。よろしいですか?





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