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98/07/05
若人のための
日本映画入門
戦後黄金期編
















































































木下恵介の慕情と爆笑
日本初のカラー映画で、かつ大傑作




 何回も観ている作品である。10年以上前にNHK−TVから録ったヴィデオを大事に持っている。元気がなくなると、引っ張り出して観る。観終わると、元気が出て、幸せな気持ちになれる。貴重な映画である。

 戦争を挟み海外に遅れること二十余年、日本初のカラー...いや「総天然色映画」がこの『カルメン故郷に帰る』(昭和26年・松竹)である。
 私はかねがね「日本初のカラー映画がこの作品で良かった」と考えている。画面一杯に広がる信州の草原、抜けるような青空、そしてド派手なカルメンたちの衣装、映像の素晴らしさは言うまでもない。と同時に老若男女、さらには時代までも超越して、笑いと感動を呼ぶそのストーリーにも着目すべきである。そのふたつによって、この映画は永遠の生命を与えられているのだ。
 日本初のカラー映画という技術的な理由だけではない。優れた「名画」としていつまでも観られ、愛されるべき作品である。


 昭和26年、上州。北軽井沢が舞台である。観光地化など先の話。軽便鉄道の着くこの村は、美しい草原と母なる浅間を配した穏やかな土地である。まずこの風景に驚嘆する。
 この村で牧畜をやって暮らす正さん(坂本武)の元に、一通の手紙が届く。家出して東京に行き「芸術家」になった娘、きん(高峰秀子)が友人を連れて帰って来るというのだ。しかしその文末には「リリー・カルメン」なる外人の名前が記してあり、正さんは「アホ、わしゃジジー・カルメンなんて娘を持った覚えはねぇだ!」と憤慨する。

 突然の事に驚いたリリーの姉・ゆき(望月美恵子)は村の名士である小学校校長(笠智衆)に相談する。温かく迎えるべきだと校長は言う。「わしは芸術家の味方だよ。芸術は擁護しなければいかん。日本は文化だからねぇ」。
 そして、リリーが友人・アケミ(小林トシ子)と一緒に帰って来る。出迎えに出た人々は腰を抜かす。派手な衣装に派手な帽子とサングラス、そして外人の様なゼスチュアで村の静寂を打ち破るのだ。ここでこの色彩に驚嘆する。緑の草原と抜けるような青空、そこに紅色のリリーのドレス。この色遣いは今観ても思わず声を上げてしまう程だ。

 二人はあっと言う間に村中の話題になる。が、しかし、どうもリリーは変である。実はこのリリー、幼いころに牛に蹴られ泡を吹いて倒れ、それからちょっと足りないのだ。「東京で評判の芸術家」も実は「一流ストリッパー」なのであった。
 村には本物の芸術家もいる。戦争で失明した元音楽教師・田口(佐野周二)である。失明で職を失った田口は、借金のために唯一の楽しみであったオルガンを村の運送屋・丸十に取られてしまった。そのために幼子に手を牽かれ、毎日小学校までオルガンを借りに来ているのだ。そんな田口を相手にリリーは語る。「芸術的ってとても難しいの。悩むなぁ」。
 名刺がわりといってリリーは肢体もあらわな写真を配っている。「考えると頭が痛とうなるよ、女が太股出して。馬や豚なら裸でいいが...」父、正さんは困り果ててしまう。

 そんなある日、村の小学校で運動会が開かれる。ここで田口は満員の観客を前に自作の曲「ああわが故郷」を発表する。しかしよりによって、演奏の最中にアケミがスカートを落とす。衣装を着て来たので簡単に脱げてしまったのだ。爆笑する村人たち。中断させられた田口は「弾く気になれない」と憤慨して帰ってしまう。
 恥をかかされたリリーとアケミは汚名返上と、この村での「凱旋公演」を思いつく。やり手の丸十がスポンサーとなり、即席のストリップ小屋まで出来てしまう。あまりの展開に帰郷を勧めた校長も後悔する。校長は「村のためにならん」と大反対、丸十に詰め寄り投げ飛ばしてしまう。超貴重な笠智衆の「乱闘シーン」である。
 しかし、時すでに遅し。「ハダカ美女の乱舞」の垂れ幕を付けたダンプが大宣伝、公演は盛況に終わる。同じ頃、校長の家では正さんらが辛いヤケ酒に酔い潰れていた。

 ところが、そんな公演も無駄ではなかった。リリーはギャラをそっくり父・正さんに渡す。さらに正さんはこの金を学校のためにと校長へ、そしてその金で田口の借金を返そうということになる。
 さらに大盛況で気を良くした丸十は、借金のカタに取り上げていたオルガンを田口にタダで返す。返されたオルガンを泣きながら荷馬車で運ぶ妻の光子。手を振りながら東京に戻るリリーたち。浅間山、軽便鉄道、そして抜けるような青空で映画は終わる。


 「聖と俗」がこの映画の魅力である。「聖」の映画−例えばスペインの名画『汚れなき悪戯』('55年)なども素晴らしいと思う。心洗われる気持ちだ。キリスト教徒でもないのにあのラストには涙した。「俗」の映画−これも面白い。今村昌平の『エロ事師たちより・人類学入門』(昭和41年・今村プロ)など徹底的なエログロに興奮のしどおしだった。そしてその両方、「聖と俗」を巧みに描いたのがこの作品だった。
 思うにこのスタンスこそ我々の生活に最も近いのではないだろうか。聖職者ほどの潔癖さもなく、さりとて風俗に溺れるまでは堕ちられず...多くの「一般人」はこの二者の間、良心と邪心の間で行きつ戻りつしているのだ。目の不自由な田口の心情を慮り、破天荒なリリーの振る舞いに笑う、そして「郷土」の慕情に浸る...我々の心をしっかりと掴むのはそんな理由からではないか。




芸術に勤しむふたり
小林トシ子、高峰秀子

浅間をバックに
踊るカルメン



 しかし、それにしても、この映画を封切りで観た当時の観客たちの反応はどのようなものだったのだろうか。改めて観てみると、屋内撮影は凱旋公演と校長宅のシーンのみ。それ以外は全て屋外−上州の草原が文字通りの「舞台」となっているのだ。その風景と慕情と爆笑を併せ持ったストーリーに観客たちは狂喜したに違いない。

 なおこの作品、好評により『カルメン純情す』(昭和28年・松竹)という続編が作られた。こちらは白黒で舞台は東京。男に騙されたアケミが赤ん坊を背負いこみ、カルメンと共に悪戦苦闘。カルメンはひょんなことから知り合った前衛芸術家・須藤(須賀不二男)に恋をするが、これが大純愛。思い詰めたカルメンは舞台で裸になれなくなってしまう。アングル、編集、音楽から美術まで極めて斬新。ストーリーは市川崑、映像は川島雄三といった感じの超スラップスティック作品で、この『故郷に帰る』とはかなり作風が異なっていた。

 さて、元気になりたい時に観たくなる映画がもう一本ある。メリナ・メルクーリ主演のギリシャ映画『日曜はダメよ』('60年)だ。あちらは港町の娼婦たちが組合を結成、こちらは山間のストリッパーが故郷に錦...この2本、どことなく似ている気もするな(笑)。




平成10年12月30日 木下恵介監督 逝去

平成11年3月9日 追記





 この項、作成中にかなり疲れていたせいもあり、木下監督については触れなかった。省いてしまったのだ。そしてこのページ発表から半年後の12月30日、氏は帰らぬ人となった。やはり、ひとこと、書かねばなぁ...。

 木下監督が語られる時、「ヒューマニズム」と「女性」という言葉を多く目にする。代表作の『二十四の瞳』(昭和29年)や、『喜びも悲しみも幾歳月』(昭和32年)など、まさに人生の歩みのなかにヒューマニズムの姿を描いた秀作ではあるが...戯作趣味の町人サダナリにはチト堅苦しさもあった。マジメスギマス。冒頭で「疲れていたので」と書いたが、木下監督そのものに触れなかったのは、こうした戦後松竹を代表する大監督としての"威光"が強すぎて、正直「どう書こうかな...」と苦慮していたのだ(と、言いつつ『二十四の瞳』のラスト、戦争で盲人になった田村高廣が「昔撮ったこの写真は見えるんだ」という場面では涙ぼろっぼろになってしまうのだが...苦笑)。

 しかしそこで浮かび上がるのが、もうひとつの側面である「女性」の描写である。"東宝の成瀬、松竹の木下"ともに女性の描写には定評があった。「男性映画」の感もある黒澤や、中性的(?)な小津に比べ、この点はかなり優れていた様に思う。
 この『カルメン故郷に帰る』も美人女優・高峰秀子をコメディエンヌとして作った傑作であったが、この2年前に撮られた『お嬢さん乾杯』(昭和24年)もそれに通じるおかしさを持つ素晴らしい作品であった。主演はやはり大女優である原節子。

 借金に苦しむ凋落しきった名家の"お嬢さん"泰子(原節子)が、自動車整備工場で財を成したガサツな男、石津(佐野周二)と婚約をする。知人の紹介とはいうものの、その裏には泰子の家の生活を助ける意味があった。お嬢さんとの結婚に露骨に舞い上がっている石津と、複雑な心境の泰子。善かれと思って行う石津の過度な施(ほどこ)しも、彼女とその家族には辛いものだった。やがて彼もそれに気付き、自ら身を退こうとするが...。

 この映画、「まぁ、佳作だなぁ」とぼおっと観ていたのだが、次第に、のめり込み、そしてラストでたまらなく嬉しくなった!。お互いの本当の気持ちが判らなくなってしまった2人、しかし泰子は石津を愛している自分に気付き、去って行く彼の後を追う。酔って絡むバーのマダムの「『愛してますわ』じゃ惚れたってことになりませんよぉ!」という言葉を受けて、行き掛けた泰子が戻って来てひとこと「惚れてオリマスッ!」と叫ぶ。このシーン、このひとことが本当に良かった。
 佐野周二という人、息子の関口宏同様に地だか芝居だか、かなりとぼけた人(ひじょうにわかりやすくいうとちょっとばかっぽい)で、そのとぼけ具合がこの役に見事にハマっていた。本当に見事だった。
 そして原節子、一連の小津作品や吉村、成瀬、川島作品などで彼女の微妙な変化を年代順に観ているが、私はこの『お嬢さん乾杯』の原が、若き時代のひとつのピークなのではないかと思う。引き締まった顔立ちで、本当に綺麗なのだ。『安城家の舞踏会』(昭和22年・松竹・吉村公三郎監督)は映画としては実に面白かったが、劇中の彼女は妙に若く、大造り過ぎた。逆に『女であること』(昭和33年・東京映画・川島雄三監督)ではいささか疲れてもいた。私は原節子を初めて観る人に、小津作品ではなく、このほろ苦いコメディーを薦めている。

 ともあれ、大監督・木下恵介に町人・サダナリが興味を抱くのはこうした女性の逞しさと美しさを本当に瑞々しく描く点と、コミカルさだ。『二十四の瞳』のようなヒューマニズムを取るか、紹介した2作品のようなコメディエンヌを取るかは貴方次第、としよう。

 木下監督のご冥福を心からお祈り申し上げます。


この『カルメン...』は松竹から廉価版ビデオが発売されています







































































駿























今井正の感動
音楽をするもの必見の名画




 昨年から今年にかけて、『ブラス!』というイギリス映画が話題を呼んだ。私も観た。強く感動し、過去のホームページにも採り上げた。
 「さすがはイギリス、荘厳な映画を作るなぁ」とお考えの人もいるかもしれない。しかし、ちょっと待って欲しい。ブランドOLじゃあるまいし、盲目的な「舶来品信仰」などやめよう。今から40年以上前、敗戦から10年後に、幾多の苦難を乗り越えて自らの音楽を追求せんとする楽団の映画がここ日本で作られていたのだ。「ブラス」吹奏楽団ではなく、こちらはいわゆる「オケ」交響楽団が題材となっていた。群馬交響楽団の実話の映画化、今井正監督の『ここに泉あり』(昭和30年・中央映画)である。


 昭和22年夏、高崎。敗戦からわずか2年後。屋根や連結部まで買い出し客を満載した機関車に、楽器ケースを持った人達が乗り込んで来る。高崎の群馬フィルハーモニーだ。日本の地方交響楽団の草分けで、小学校の移動音楽教室を中心に活動しているが、とても経営は成り立たない。
 そこに東京からヴァイオリンの速見(岡田英次)が到着する。東京での職を失い、楽団のマネージャ井田(小林桂樹)にコンサートマスターとして招かれたのだ。着任早々年配の兼業楽団員にレヴェルの違いや練習姿勢を正し一悶着起こしてしまう。
 移動教室は依然不振、閑散とした教室で演奏をつづけるが反応は悪い。しかしリズムを採りながら真剣な眼差しで見つめる男子児童や、帰り際に駆け寄って花束を渡す女子などもおり、救われることもあった。吾妻の山中では村人を相手に即席の青空演奏会も行い、好評を博す。このシーンは本当に感動的である。この映画もカラーだったらなぁ...。そのころ速見と、身寄りのないピアニスト佐川かの子(岸恵子)の間に淡い恋も芽生える。

 一年後、井田の尽力のおかげで、地元の市民会館に山田耕作(本人出演)指揮の東京交響楽団を招き、合同演奏会を開催する。しかし団員はその実力の違いに愕然とする。特に室井摩耶子(本人)のピアノを舞台袖から見つめるかの子(このときは速見の妻となっている)の胸中は複雑だった。

 相変わらず財政は貧窮。井田は自宅を抵当に入れ、生活に追われる団員たちはチンドン屋で食い繋ぐ。ここで団員の輪が乱れる。生活と芸術の狭間で、意見の違いから喧嘩沙汰も起きる。練習場も、ピアノも、楽器も失い...解散を決定する(『ブラス!』に似ているなぁ、このあたり...)。
 最後の移動演奏。ヒッチハイクしたトラックで利根の山奥に向かう。荷台の上で雨に降られ、筵で必死に楽器を庇う団員たち。このシークエンスは涙が出る。山奥の分教場から集まった小学生たちを前に熱演、児童たちの感動もさることながら、団員たちの心にも熱いものが流れる。帰り道で井田が口を開く。「生のオーケストラを聴くことは一生のうち二度とないだろうって先生が言ってた。みんな炭焼きか木こりで一生終わるんだ」。

 数年後、東京から軽井沢に向かう車中で、山田耕作とマネージャーが、市民フィルの思い出話をする。解散したらしいですよというマネージャーに、山田がいきなり高崎で「降りようか」と言い出す。市内を探すと...楽団は存命であった。団員も増え、新しい練習場で熱い演奏を繰り広げている。思わず近づいてタクトを執る山田。
 その年の秋、今度は東京交響楽団からの申し入れで数年ぶりの合同演奏会が実現する。指揮は山田耕作。ピアノはかの子だ。満員の客席には歴代の団員たちの姿も見える。「歓喜の歌」にあわせて彼らの胸に去来するのは、辛かった思い出の数々。重い楽器を担いで、田んぼの畦道を歩いたこと。トラックの荷台に揺られ雪の中、凍えながら会場へ向かったこと...。感動のエインディングである。


 なんだ、『ブラス!』よりもこっちのほうがいいじゃないか(笑)。「灯台もと暗し」とはこのことだ(もっとも「灯台もと暗し」は今回の特集の全体の意図だが)。



中央・岡田英次

右端・加東大介



 以下、管楽器奏者・サダナリのコメント。今の時代と変わらないところもあれば、変わっているところもある。例えば楽器。これは変わらない。楽器ケースも同じだ。楽器の取り扱い、練習の雰囲気も変わらない。こう考えると、逆に「変わっているところ」が強烈に浮き彫りになって来る。
 なによりも移動の大変さに驚く。今だって大きな楽器ケースを持って電車に乗るとかなりの顰蹙なのに、屋根まで人が鈴なりになったあの買い出し列車で、チューバやコントラバスを運ぶなんて...車が使えず、山道をひたすら歩いているのも今では考えられないことである。しかし、だからこそ、嬉しくなる。親から聞いていたあの超満員の買い出し列車に、自分たちと同じ様に楽器を持った人たちが乗っていた。モーツアルトを、フォスターを演奏していたということを知ると、たまらなく嬉しくなる。「日本も捨てたもんじゃない」などとも思う。
 もちろん移動だけではない。演奏活動に対する理解や、支援の問題なども今とは大違いだ。劇中で頻繁に採り上げられる移動の困難さはひとつの象徴、「移動することすら大変だった時代に音楽をやること」の表現だとも考えられる。冒頭の鈴なり列車と、その数年後、ラストで山田耕作らが乗っている近代的な車内の対比も面白い。

 今井正監督、このような「現代と過去との接点」を描くのが非常に巧いのだ。今井監督のみ第二部で二作登場する。のちほど『また逢う日まで』(昭和25年・東宝)もご紹介しよう。

 こうした先人たちの努力があって、今の私たちがある。今や「当たり前になていること」があのころ、いかに「困難なこと」だったのか、が判る映画だ。そしてその原因は悲しむべき戦争と敗戦であることを今井監督は何も言わずに表現している。これも今井監督の巧さである。


この『ここに泉あり』は大映から廉価版ビデオが発売されています








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