インターネットロックページ共同執筆 新譜/名盤クロスレヴュー
月刊 ロック・クルセイダーズ No.012 Nov.'99
1999/11/20 Updated







今月は名盤の月です
Good Old Choice of this month

DONALD FAGEN : The Nightfly

WPCR-1094 (WEA JAPAN) 1982/1997



だまされ続けて15年 

 高校卒業したあと専門学校の音響科へと進路をとった僕にとって、この『ナイトフライ』というアルバムは少し変わった出会いだった。というのはこのアルバムとの出会いはレコード屋でもなく、友達の家でもなく、専門学校の授業だったのだ。(1986年)
 どういういきさつでこのレコードを聴いたのかははっきり覚えていないが、確か授業の中でもこのレコード(当時)はレコーディングのお手本だと教えられたのは記憶に残っている。ただ厳密に言えばその出会い以前に、このアルバムからのシングル曲『ニュー・フロンティア』のビデオは小林克也さんの『ベストヒットU.S.A』の中で見たことがあったし、レコードジャケットのビジュアルも記憶に残ってはいたのだけれど。(1982年)

 しかし、どちらの出会いにしても僕はその時ちゃんと聴いていなくて、自分でCDを買って聴いたのはなんと93年、つまり専門学校の出会いから実に9年、『ニュー・フロンティア』のビデオから11年の月日を経てのことである。ドナルド・フェイゲンやマイケル・マグドナルド、ボズ・スキャッグスといった面々が集まってソウル・ミュージックの名曲をカバーしたライブアルバム『The New York Rock and Soul review』(オススメ!)がフェイゲンおよびスティーリー・ダンという音楽ユニットの世界に足を踏み入れるきっかけとなったのだ。

 さて、とても個人的な話を長々と書いてしまったが、この『ナイトフライ』に一旦は出会いながらも当時はその良さを理解できず、後々になってそのアルバムの良さを再認識するという経緯に「そういう事、あるある」と共感していただける方は多いと思う。音楽にはなんの予備知識もなく受け入れられるものもあれば、聴き手にそれだけの下地の勉強を必要とするものもある。そして僕はフェイゲン(およびスティーリー・ダンも含めて)の音楽性と言うのはかなり“上級者向き”の音楽であると思うのだ。ジャズの知識を要求される複雑なコードや旋律も、アメリカ音楽界のトップレベルのスタジオミュージシャン達が一糸乱れぬアンサンブルで繰り広げる演奏のポテンシャルも、「わかるヤツにしかわからない」類いのものである。
 しかもそんな高度な学習をしていない者にとって「お前らにはこれがわかんないよな〜、バカだから」と言うような当たりの強さもないから、わからない人間にとっても耳障りの悪いものではなく素通りしていくほどだ。考えようによってはその方がイヤミだとも言えなくもないが。ともかくヒジョーにこだわりも完成度も高く、聴く者を実はセグメントしているアルバムで文句のつけようのないアルバム...だったはずなのだが。

 アルバム発表から17年を経た今、改めて聴き直して見ると当時とは全く別の印象が耳に付く。「音が悪い」のだ。なんなら試しに同じオーディオでフェイゲンの『カマキリアド』(93年)を聴いてみるといい。あきらかに『ナイトフライ』の方が音のレンジが狭いことが感じてもらえるだろう。
 もちろんこれは当たり前の話しである。両者のアルバムの間には11年の隔たりあって、その間にレコーディング現場のテクノロジーは格段に進歩をとげた。それにこれが普通のアーティストのアルバムなら、僕もこんなことは言わない。
 しかし、この『ナイトフライ』を聴いて(そしてスティーリー・ダンのアルバムを聴いて)アメリカの都市への幻想を抱いた人は決して僕だけではないはずだ。ニューヨークの摩天楼やそこに潜むアメリカの都市社会で生きる人々の姿にあこがれた人はきっと多いと思う。そう、フェイゲンの音楽はアメリカの都会を夢見る人間にとってこのうえなくハマる音楽絵巻だったのだ。そして僕はこうして聴き直してみるまで、このアルバムの中の世界がフェイゲンと有能なミュージシャン達によってつくられたヴァーチャル・ワールドであることに気付かなかった。いや、きっと82年当時はこの中のアメリカが実在したのだろう。そしてその時代を鮮明に写した音楽に当時の人々(米国人&それにあこがれる人)は自分の中で何かをダブらせていたに違いない。
 しかし、この音の中のアメリカはもう存在しない。リアルの存在しないヴァーチャルはヴァーチャルとしての効力を発揮できない。今の僕らは82年当時の名演の収められたアルバムとして聴くことしかできないかも知れない。あるいはジェイ・マキナニーの小説のBGMとして聴くぐらいだろうか。そう思うと少し寂しい気がする。

岩井喜昭 from " Music! Music! Music! "



足し算の隙間 

 60年代・70年代の音楽は未知のものとして聴き流すこともできるけど、80年代初頭ともなればいいかげん物心ついたころ、時代の空気を微かに思い出してしまうものだ。田中某の「なんとなく暮らしてる」とかいう本が売れて日本が調子ぶっこいていたあの頃。AORというジャンルがでっちあげられ、オトナのためのポップスとして(この場合「オトナ」はカタカナ表記でなくてはならないのだが)チヤホヤされていた。その代表格として祭り上げられたのがこの「The Nightfly」である。
 時は下って90年代、レア・グルーヴとかいって「再評価」だの「発想の転換」だの調子ぶっこいてたDJが、80年代ポップスもアリだよねなんつって(この場合「アリ」はカタカナ表記でなくてはならないのだが)かけていたのもこの「The Nightfly」であった。
 「The Nightfly」というアルバムは、こと日本ではこのいけ好かない連中に「使える」「使えない」という二元的価値基準の元で評価されてきた不幸な作品と言えよう。もちろん80年代の「使える」は気取ったアーバンライフのBGMとしてであり、90年代の「使える」は踊れるか否かである。
 ところが一見おしゃれなジャケットも、よく見ればまゆげは大袈裟なまでに懐疑的であり、彼の唇にいたっては「ヘ」の字口であるところしか見たことがない。彼はおそらくすかした連中に不満だろうし、すかした連中に不満を訴える僕のような人間にも不満だろう。でも僕は、そんな彼の偏屈なヘの字口が大好きだ。

 ジャズやソウルを巧みに取り込んだ洗練されたサウンドで注目を集めたスティーリー・ダン。人名ではなくバンド名である、念のため。そう、最初はバンドだったらしい。神経質なまでに凝り性なフェイゲンは、メンバーを次々と削減してはスタジオミュージシャンの演奏に置き換え、ついにバンドはフェイゲンとギタリストのウォルター・ベッカーの二人きりになってしまった。
 商業的にも成功した彼らには恐いもんなしだった。超一流のプレイヤーを長時間拘束して、完璧な演奏を引き出すまで延々とテイクを重ねた。知性と衝動のバランスを欠いた密室作業。ともすれば職人芸の発表会になってしまいそうだが、そんな彼らの音楽にヒューマンな親しみやすさと生気を与えているのは、ベッカーの緩いギターだ。
 高度にコントロールされたサウンドの上を軽やかに渡るギターは、時に「ほんとにこれでいいのか?」という異物感さえ抱かせる。その不安定さこそが、スティーリー・ダンにロックバンドとしてのエッジを与えている。彼らは、完璧な演奏を追求しながらそのはずし方を心得ているのだ。
 「The Nightfly」は、ベッカーとのコンビを解消したフェイゲンの初めてのソロアルバムだ。ベッカーと分かれた彼は、しかし自分の音楽にベッカー的なファクターが必要だとわかっていた。このアルバムでベッカー的緩さを演出するのは、ふにゃけたシンセサイザーとホーンセクションだ。ホーンといってもブラスロック的覇気とはかなり毛色が違う。「I.G.Y.」のホーンは、おしゃれというにはギリギリの間抜けさを醸し出している。いい気になってAORを聴いていた当時のヤング・エグゼクティブどもは、この抜け具合とどう折り合いをつけていたんだろうか。
 この手触りがDionの「Ruby Baby」をカバーさせたのか、オールディーズというテーマが先にあってこの手触りが産まれたのか僕は知らない。しかし、気だるく決める1曲目「I.G.Y.」からラウンジ臭さえ漂わせるラストの「Walk Between Raindrops」に至るまで、隙を見せた彼のサウンドは(その隙が意図的なものだとわかっていても)、気取るほどのルックスもステイタスも持ち合わせていない平々凡々な僕らに、今こそ相応しい。

 フェイゲンの音楽は濃密だ。様々なバックグラウンドを持つプレイヤー達の異種配合の場と化していたスティーリー・ダンの濃密さはまた格別だ。色んなファクターを含んでいるが故に、時代の価値観がいくら変わってもそれに対応できる引き出しをあらかじめ用意している。ただ、あまりに濃密であるが故に、僕のような素人にはどれも同じカオスに見えてしまうのもまた悲しい事実。
 93年に発表されたセカンドアルバム「Kamakiriad」は、ベッカーをプロデューサーとして迎えて再びベリー・スティーリーダンな演奏を繰り広げている。少なくとも93年の時点では、彼らの審美眼が全く失われていなかったことが確認された。僕はスティーリー・ダンの復活を心から望んでいる。それだけに、ベッカー抜きで制作された唯一のアルバム「The Nightfly」の異色感、存在価値はいっそう引き立つのだ。


山下元裕 from " POYOPOYO RECORD "



ロック推薦家冥利に尽きる1枚 

 このコーナー、そもそも「ロックを愛するお兄さん達」(一部オヂサン)がヤングのみなさんに優良盤をお薦めするってな趣旨で始めたので、どうもセレクションが渋くなる。特にここのところトム・ウェイツ、ランディ・ニューマンと来て極め付き'70年代モノのライ・クーダ、ちょっと渋さ続きだったですかね。今月の(私が勝手に決めた)テーマは「渋さの研究」である。渋いロック、大人のロックにも色々あるのだ、ということを言いたい!

 自分でセレクトしておいてこんなことを言うのもなんだが、昨日までリッキー・マーティンやヒロミ・ゴーを聴いて来た若人が「ちょっと渋いモノも聴いてみようかな」とランディ・ニューマンにトライしても、正直なかなかキツイかもしれない。カジュアルな格好で超高級バーに入ってしまった時の違和感である。「なんか、イゴコチ悪いぜ」ってヤツだ。
 もちろん未来永劫縁がないというわけではなくて、「ふーん、こういう店もシックでカッコイイな。しばらくしたら正装して来よう」と考えるだろう。一種の「アコガレ」を抱きつつ、しばし待つ、というわけだ。

 しかしここにひとつの人種が存在する(と思う)。リッキー・マーティン店長が腰を振る居酒屋チェーンにはもう飽きた、でもランディ支配人の高級バーは、まだちょっと...という心優しき人々だ。思えば私もそういう時期があった。いや、非常に長く、険し(?)かった。
 そんな人達にお薦めなのがこの『ナイトフライ』だ。ここに収められているのは間違いなく渋いロックであり、大人のロックである。しかし、なにしろ聴き易く、楽しく、色っぽい。
 ドナルド・フェイゲンはアメリカきっての知性派バンド"スティーリー・ダン"のキーボード&ヴォーカル。といってもスティーリー・ダンは現在、彼とウォルター・ベッカー(g)のデュオとなっているので、スティーリー・ダンの50%はフェイゲンというニンゲンによって創られていると言える(或いはプロデュサーのゲイリー・カッツとの三等分)。しかし不思議なことに、スティーリー・ダンでのフェイゲンと彼自身のソロの間には、何か明確な違いがある様に思える。50%を占める結びつきの強さにも関わらず、だ。

 それを巧く説明するのは中々難しいのだが、強いて言えば「色気」と「ユーモア」がポイントか。スティーリー・ダンのアルバムというのは当代きっての名うてのミュージシャン達を集め、後世に残すべく非常にシリアスに創られている様に思う。まさに「粋を集めて」という感じだ。それは崇高な芸術であり、もちろん高く評価されるべきものである。
 それに対してフェイゲンのソロ、この『ナイトフライ』と、'93年の『KAMAKIRIAD』は色気、洒落っ気に溢れており、思わず頬が緩んで来る!だいたい曲のモチーフも「国際地球観測年」とか、「カマキリ号の冒険」とか、マジメな顔してヘンテコなコト考えてるよなぁ(笑)。アメリカ風のFM局のステーション・ブレイクをそのまま曲に入れてしまったりね。
 ともかく楽しさ満点である。しかもそのユーモアが実にシックなのだ。若者は憧れを抱き、大人は思わずニヤリとし、そして女性はファッショナブルさを感じる...。これがアメリカの「粋」なのかな。

 そう、まさにこういうアルバムこそ「老若男女を問わず」というのだろう。ついでに言えばこのサウンド、アレンジ、エレピのテクニックはジャズ・ファンが聴いても「納得」であろう。ちなみにブレッカー・ブラザーズ、ロニー・キューバ、ラリー・カールトン、マーカス・ミラーなどジャズ畑からのゲストも超豪華。一家に一枚。ロック推薦家冥利に尽きる1枚である。
 ところがこの『ナイトフライ』、'82年という発売時期のせいか、ロック史の中にぽつりと埋もれてしまっている。名盤なのに!'70'sメロウ・グルーヴには遅く、'90'sクラブ・サウンドには早く...その谷間なのかな。リアルタイム世代の一人として、非常に残念に思いここに大々的に採り上げて、そして満点も付けた。

 スティーリー・ダンについては「超専門家」の様な方が数々いらっしゃるのでめったなことは書きにくいのだが(笑・だいたい彼らは解散したのか?再結成したのか?ほとんどYMO状態である)、一応不肖サダナリもファンで、アルバムをそれなりに所有し、'94年の来日ライヴにも駆けつけた。そういえば、あのステージでこのアルバムのオープニングを飾る人気曲「I.G.Y.」をやったなぁ...。
 お、曲の説明をすっかり忘れていたが...不要だろう。1曲目、アタマの数秒で「なんだ!この曲か!」となるハズだ。しかもこれまた老若男女全ての人が(ごく最近IBMのTVCMにも使われていたしね。ジャケット写真もどこかで見た事があるでしょう?)。そしてこれがフェイゲンの凄さでもあるのだ。

 廉価盤CDでわずか1835円也。車で、パーティーで、恋人同士で是非。「オヂサン達の選ぶヤツ、ちょっとシブ過ぎ」なんて、言わせないゼ。

定成寛 from " サダナリ・デラックス "






See you next month

来月は " Brand New Choice " 新譜の月です


(C) Written and desined by the Rock Crusaders 1998-1999 Japan





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