インターネットロックページ共同執筆 新譜/名盤クロスレヴュー
月刊 ロック・クルセイダーズ No.032 Jul.'01
2001/07/20 Updated







今月は名盤の月です
Good Old Choice of this month

LAURA NYRO : Gonna take a miracle

CSCS-6058 (CBS/SONY) 1971



癒されます。

 僕はアーティストのカバー・アルバムというのは結構好きな方だ。特に今回のローラ・ニーロとか、他にはリッキー・リー・ジョーンズとかいうように自作自演のアーティストが他人の曲をカバーするというのは、オリジナル・アルバムよりもその人の音楽観とか価値観みたいなものをかいまみれるという点で非常に興味深い。素晴らしい曲を作ってきたソングライターの音楽の源の謎を探れるのではという気になる。

 さてさて、このローラ・ニーロのアルバムに収録された曲はいずれもフィリー・ソウル、ドゥー・ワップ、ガール・ポップなど黒人音楽のカバーばかり。(他のアルバムでは同時代に活躍していたシンガー・ソング・ライター、キャロル・キングの曲なんかもカバーしてるんだけどね)
 アルバムのプロデューサーはフィリー・サウンドの重鎮コンビ、ギャンブル&ハフで、ローラのバック・コーラスには「レディー・マーマレイド」のヒットで知られるラベル(そう言えば、最近レディー・マーマレイドがカバーされて大ヒットしてるね)でしっかり中のジャケ写にも彼女達が登場しているところなんかはローラが本作の中で彼女達の功績をかなり評価してるんじゃないかって思えたりする。だってミックス的にもラベルのコーラスはでかめだもん。

 そんなわけでブラッキーなスタッフのサポートを得て、自分のお気に入りのブラッキーな曲ばかりを歌いまくるローラはとても気持ちよさそうだ。ただ、これだけまわりをブラッキーで固めているにもかかわらず、全体的なブラッキー度というのはいわゆる黒人のソウル・アルバムに比べたらずーっとうす味というのがおもしろい。以前エリック・クラプトンがブルースのカバーばかりを集めたアルバムを発表した時のインタビューで「ブルースのカバーばかりを集めたのに結局ブルース・アルバムにはならず、僕自身のアルバムになってしまった」と言っていたらしいが、このローラのアルバムにも同じような事が言えるかも知れない。もっともローラがソウル・アルバムを作りたくてこのアルバムを作ったかどうかはわからないけどね。

 このアルバムを最後に私生活のトラブルが原因で音楽活動から5年間も沈黙していった彼女の制作当時の状況を想像すると、ひょっとしたら歌さえ生まれてこない状態で、何も考えずに音楽を楽しみたいと思った自己セラピーの企画アルバムだったのかもってな事を考えてしまうのは下世話だろうか。
 でも、仮にそうだったとしても結果生まれたこのアルバムには彼女のシンガーとしての素晴らしさだけでなく、ローラ・ニーロという音楽家がいかに音楽を愛していたかとう事を伝えてくれる内容だと思う。同じ音楽愛好家としてはこのアルバムみたいに音楽への愛情が溢れているアルバムを聞いているととても癒された気分になるのです。

岩井喜昭 from " Music! Music! Music! "



冬の地下鉄、エコーと戯れる子供達 


 ローラ・ニーロというソングライターがどれほどの成功をおさめたのか、それに対してシンガーとしてはどれほど不遇な立場にあったのかという話は、その手の本をめくればいくらでも読めるでしょう。たぶんそこにはこう書いてある。彼女はシンガーとしても素晴らしかったしルックスにも恵まれていたが、当時のアメリカのポップシーンの中ではヘヴィーで哲学的すぎたと。
 ローラの歌う「Wedding Bell Blues」や「Stoned Soul Picnic」と、5th Dimensionがカバーして大ヒットさせたバージョンを聴きくらべるてみる。確かにローラのボーカルは、軽く聴き流すにはちょっとどうかという気迫に満ちている。ヴィブラートの効いたファルセットから強い意志を秘めた低音まで、縦横無尽の迫力に飲み込まれそうだ。特に彼女が10代から20代前半頃のアルバムを聴く時は、若さゆえの切迫感に対峙するだけの体力が必要だ。晩年のアルバムにはエモーショナルな刃はないが、フェミニストとしてのメッセージが込められていて、また違った意味で有り難く拝聴しなければならないような気がしてくる。

 今回取り上げる「Gonna take a miracle」は、ローラのキャリアの中で唯一のカバーアルバムである。ソングライターとしての側面を敢えて封印して、パフォーマーに徹した企画モノだ。となればますます孤高で気難しいアルバムかと思いきや、これが意外と快適に聴き流してオッケーのリラックスした作品に仕上がっている。彼女はジャケットの裏にこんなことを書いている。子供の頃、地下鉄構内のエコーの中でよく歌ったの(意訳)。
 実際に彼女は14・5歳の頃、夜の地下鉄の階段に集まるスパニッシュの少年達に交じって勝手にハーモニーをつけていたという。「だって、あまりにも美しかったんだもの。彼らも、やめろとは言わなかった」(「インスピレーション」ポール・ゾロ著・丸山京子訳より)。思えば彼女はキャリアの最初から、胸かきむしる切なさを歌うのと同時に弾けるような喜びをも放出してきたのだった。

 アルバムはShirellesの「I Met Him On A Sunday」で始まる。「蝶々さん」のような手拍子、これが日本のものなのかニューオリンズのものなのか知ったことではない。とにかく1分18秒で一気に広がる音像には背筋がぞっとした。そのまま「The Bells」に流れ込み、Labelleとの静かな熱を帯びた掛け合いを経て、ソウルフルな「Monkey Time / Dancing In The Street」に至る。この時点でもはやノックアウトである。ビートルズもカバーした「You've Really Got A Hold On Me」や、「Spanish Harlem」「Jimmy Mack」で山を迎え、じんわりしみるタイトル曲まで全33分18秒で駆け抜ける潔さ。
 原曲をよく知るポップスマニアは、彼女のカバーセンスについて難しい顔して語るのかも知れない。選曲やフェイクの妙に、このアルバムの「真価」を見るのかも知れない。でも僕みたいないんちきリスナーにとっては、カバー曲も彼女のオリジナル曲もたいして違わないのである(例えば矢野顕子が、細野晴臣も奥田民生も自分の音楽にしてしまうように)。彼女はただ「あまりにも美しいから」ハーモニーをつけ、ただ「あまりにも美しいから」メロディや歌詞を乗せる、そういうソングライターなんじゃないかと思う。

 このアルバムは、ローラののびのびした歌声と、Labelleとの緊張感あふれる掛け合いが楽しい。ザッツオールである。そしてたぶん、ソウルとはこんなもんなんじゃないかと思う。平成のジャパンでは、ソウルはお洒落でかっこいい音楽とされている。それっぽいリズムでそれっぽいコード進行でそれっぽいコブシで、でも全然楽しくない音楽が流行っている。ああそもそも僕らはニューヨークの地下鉄の佇まいやブロンクスの混沌を知る由もないのだ。というわけで高円寺あたりから日本のソウルミュージックが出てこないかと思う次第である。

山下スキル from  " FLIP SIDE of the moon "



負けを知る人の傑作 

 笑う、泣く、踊る。音楽や映画に対する反応は色々あると思うけれど、「トリハダが立つ」が一番素直な(?)ものなのではないだろうか。
 昨年のこと、都内で行われたイラン映画祭で、イランで人気No.1、超天才といわれるモフセン・マフマルバフ監督の『パンと植木鉢』を観たのだが、このラストシーンがアッと驚く展開で、思わず全身「スー」ッとトリハダが立った。泣かされる映画は数々あるが、あの様に、まさに肌で感じる衝撃というのは珍しい。
 このローラ・ニーロのアルバム、『ゴナ・テイク・ア・ミラクル』も、そんな肌で感じる(?)一枚である。「そんなに大層な仕掛けがあるの?」−いや、本当にシンプルな曲の進行がそうさせるのだ。
 アルバムは一週間の恋の歌、「アイ・メット・ヒム・オン・ア・サンデー」から始まる。手拍子とヴォーカルだけでアカペラ風のパートが続く。「日曜日に彼に逢い、月曜日は逢えなくて...」、そして次の日曜日が過ぎ、一気に力強い、叩きつける様なソウルなピアノが飛び出す。この瞬間、トリハダ、いや、目眩すら覚えてしまうほとの衝撃があるのだ。こんなアレンジ、ちょっとない。

 ローラ・ニーロは'47年ニューヨーク生まれ。名前の通りにイタリア系でジューイッシュだそうだ。デビューはわずか16歳。このアルバム『ゴナ・テイク・ア・ミラクル』は、彼女が愛聴するソウルの名曲をカヴァーしたいわば「企画盤」で、代表作は'68年発表の『イーライと13番目の後悔』や、『ニューヨーク・テンダーベリー』だろう。
 早熟な天才シンガー・ソング・ライターと言われ、同時期に活躍したキャロル・キングやジョニ・ミッチェルと並び称させる存在ではあるが、日本での知名度、いや、世界的な知名度はイマイチなのだ。
 それは彼女が数々の失敗、負けを経験しているからかもしれない。中でも有名なのはデビュー直後、'67年6月に出演したかのモンタレー・ポップ・フェスティヴァルにおける失敗で、観客は「批判的ですらあった」と言われている。多分はブーイングの嵐だったのだろう。ジャニス・ジョプリンが一夜にして大スターになったあのステージで、完敗を喫し「打ちのめされた」アーティストだったのだ。
 '72年には来日公演も行っている。私はそのステージを観たという人に感想を聞いたが...渋かった。「良くなかったよ...ステージ」「どんな風に?」「機嫌が悪いのか、体調が悪いのか、ちょこっと歌って、なにか言って、すぐ消えて。歌も演奏も良くなかった」。
 ステージ・フライト(恐怖症)やショービジネスのプレッシャー、離婚などのプライヴェートのゴタゴタ...これらを経験しないアメリカのミュージシャンはいないと思うが(笑)、彼女の場合それが特に強烈で、その「負けの連続」にナーヴァスになっていたのではないだろうか。

 しかし私はそんなローラの創る音楽が大好きだ。世界中の、あらゆる女性シンガー・ソング・ライターの中で(カルメン・ミランダと共に)最も愛して止まない。ひっかけるようなリズムの独特のピアノ、それと対照的に前に転ぶ不思議なコード・チェンジ、タイトなビートの中を泳ぐ様に歌うダイナミックなヴォーカル...。私が音楽を演る時に、リズムの、コードの、アレンジの、ヴォーカルの、すべての手本としているのが彼女なのだ。なんとあの鬼才、トッド・ラングレンも「アレンジの影響はローラ・ニーロから受けた」と公言しているそうだ。とにかく、一度掴まったら離れられない、独特な音楽を創り出すアーティストである。
 そしてこのアルバムは、勝ったり負けたり、成功したり失敗したりの彼女が愛聴するソウル・ミュージックの名曲を自由奔放に歌い切ったハッピーな作品である。前述した代表作ももちろん素晴らしいが、全てから解き放たれたような、このアルバムこそ私が考える彼女の最高傑作だ(元ピチカート・ファイヴの小西康陽氏も「これほど聴きまくったアルバムはない!」と言っていた様に記憶する)。
 またこのアルバム、選曲が素晴らしい。お馴染みマーサ&ザ・バンデラスの「ダンシング・イン・ザ・ストリート」や「ジミー・マック」(日本ではサンディー&ザ・サンセッツのカヴァーが有名)などのダンス・ナンバーに加え、かのフィル・スペクターがサント&ジョニーというギター・デュオのために書いた「スパニッシュ・ハーレム」(その後ベン・E・キングやアレサ・フランクリンでヒット)などのミディアム・ナンバー、さらには幾つかのバラードまで。ともかく一枚を、徹底的に聴かせ抜く作品と言える。

 '70年代後半から'80年代、'90年代初頭にかけては地味な活動が続いていたのだが、'93年に久々のアルバム『抱擁』を発表。そして翌'94年2月には実に22年振り(!)になる来日公演を行い、「復活か!」と思われたのだが...それは死期を知った彼女の最期のパフォーマンスだったのかもしれない。'97年4月、卵巣癌のため急逝。通勤電車で読んでいた新聞で彼女の訃報を見つけた私は、もう、悔しくて...'93年のステージを見逃していたのだ。私の音楽人生における忘れ難き失敗のひとつである。

 モフセン・マフマルバフ監督の『パンと植木鉢』での「トリハダ事件」(?)は私だけかと思っていたら、なんと都内の映画仲間、しかも年上でジャン・レノに似たちょっとコワモテの男性が「俺もラストでゾク〜ッと来たよ!」と言っていた。
 さて、このアルバムの「アイ・メット・ヒム・オン・ア・サンデー」で「ゾク〜ッと」来る人は?ご遠慮なくメールにて一報を。ヘッドフォンで聴くと特に効果的である。

定成寛 from " サダナリ・デラックス "






See you next month

来月は " Brand New Choice " 新譜の月です


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