インターネットロックページ共同執筆 新譜/名盤クロスレヴュー
月刊 ロック・クルセイダーズ No.023 Oct.'00
2000/10/20 Updated







今月は名盤の月です
Good Old Choice of this month

THE BAND : Cahoots

TOCP-65579 (Toshiba-EMI) 1971 / 2000



バランスの悪いザ・バンド 

 ロニー・ホーキンス、ボブ・ディランのバックなどを勤めた後、デビュー。4人のカナダ人と1人のアメリカ人で構成されたバンドでありながら、その楽曲とサウンドはアメリカのルーツを掘り下げたものであった。ファースト・アルバムはあのエリック・クラプトンにクリームを解散させることを決意させたのをはじめ、多くのミュージシャンから絶大な指示を得た。そして1976年11月25日のコンサートを最期に16年間にわたるバンド活動に幕を降ろす。コンサートの模様はかのマーティン・スコセッシの手で映画化され「ザ・ラスト・ワルツ」として発表された。
 1983年にバンドは再結成しているが、メインソングライターだったギタリストはそこには参加していない他、現在はオリジナルメンバー5人のうち、2人が他界しており、バンドそのものも現在の音楽シーンの中でかつてほどの影響力を与えるオーラはない。

 さてさて今回のお題の「カフーツ」は彼等の4作目にあたる。ザ・バンドと言えばファーストの『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』かセカンドの『ザ・バンド』あたりがまずマストアイテムなのだろうが、今回彼等のアルバムの中でいくつかリマスタリングによるリイシュー化ということもあり、この『カフーツ』をチョイスした。リマスタリングによってくっきりと浮かび上がってきた音像によって個々のフレーズとしてはシンプルだが全体の中では複雑に絡み合っているアンサンブルが明確になっており、「こんなすごいことを当時やっていたんだ」と改めてこのバンドのすごさを知らされた感じがする。

 技量的には凄いことと、それが音楽として人の心を打つかどうかはまた別問題だということはみなさんもご存じのことかと思う。正直言って本作品は彼等の初期の2枚に比べると今ひとつ心にくるものがないと感じるのは私だけではないだろう。
 実はこの作品を制作していた当時のザ・バンドの状態というのはあまり良くない状態だったらしい。

 音楽だけに限らず複数の人間の共同作業によって何かをする時、その中の政治的関係はその結果に大きく関与する。いくら才能や実力のある連中が集まったチームでも個々が勝手なことをしていてはどうにもならないし、それぞれは普通の人間でもお互いの良い部分を引き出したり悪いところを補いあったりしているチームの方が大きな成果を上げることがあったり、ワンマンで凄いやつがいたとしても他の人間がそれを認め信頼しているのとそうでないのでは大きく変わると言ったように。
 ザ・バンドというチームの中ではロビー・ロバートソンが全体のまとめ役をしていた。それぞれが個性的な他のメンバーのおいしい部分を作品の中に抽出することのできる有能なコーディネイターとしての役割を果たしていた。
 しかし、ドラッグや酒に溺れスタジオで音楽をクリエイトすることに全力を注げなくなった他のメンバーに対して責任感の強い彼は足りない部分を自分が頑張って補おうとした。それが結果的にこのバンドの理想的なチームとしてのバランスをくずすことになった。

 『カフーツ』では初期の作品に見られるようなメンバー5人の演奏しているイメージが浮かんでこない。それは言い換えれば個々の資質が作品の中に反映されていないということである。唯一資質をくっきりと浮かび上がらせたのはホーン・アレンジを担当したアラン・トゥーサンぐらいなものではないだろうか。
 1曲目の『カーニバル』のホーン・アレンジは見事としか言い様がないし、この曲の中でのザ・バンドは僕らが感銘を受けるあのザ・バンドの姿がはっきり出ている。ヨレヨレだったメンバーも大好きなアラン・トゥーサンとのコラボレーションでは気合いが入ったのだろう。そう思えば彼等はまだ音楽を楽しむ気持ちは薄れていなかったとも言えるだけに残念だと言う気がする。当時のメンバー自身もそう思ったのではないだろうか。

 人が人の世の中で生きていく上で必ずどこかの集団の中で何かをしなければならない場面に出くわす。その時、その集団としての成果を上げるにはどうすればいいのか、また何に気をつければならないのかということを、この作品は教えてくれている。音楽って音楽以外にも勉強になるよなぁ。

岩井喜昭 from " Music! Music! Music! "



生真面目すぎた「よそ者」 

 ザ・バンドの音楽を初めて聴いたのはたしか高校生になった頃だったか。当時はもっと緻密で甘酸っぱいイギリスのポップスが大好きで、スカスカして男臭い彼らの音楽はいまいち口に合わず、すぐにポイしてしまった。実を言うとこういう音楽を素直に楽しめるようになったのはここ数年のことで、ひとえにこのロック・クルセイダーズのサダナリさん、岩井さんのおかげと言えよう。
 最近になってリマスタリングされたザ・バンドの音源は、これまでもやの中に見え隠れしていた彼らの豊かなグルーヴをよりビビッドに届けてくれる。高校時代の僕がこれを聴いていたら、どんなリスナー人生を歩んでいたのかと思う。

 今回とりあげる「Cahoots」は、彼らの4枚目に当たるアルバム。定番とされる初期のアルバムと比べて、この作品は僕ら後追い世代にとって影が薄い。初期のアルバムにある求道者のような佇まいを期待すると、ちょっと物足りないのかも。誰かの人生を大きく変えるような決定的なマスターピースがあるでもないし。と、そんな訳で改めて向き合ってみると、絶望的なジャケットイメージに反してこれがなかなかカラフルなアルバムであることに気づく。「Life Is A Carnival」のホーンはキャッチーだし、ふたりのキーボーディスト、特にリチャードのピアノはいつになく軽やかに転げ回っているようだ。
 このアルバムを聴いて、僕は以前このページで取りあげたDr.Johnの「Duke Elegant」のことを思い出した。単にニューオリンズのサウンドを取り入れているからではない。曲の化学組成に非常に近いものを感じたのだ。「Duke Elegant」は、南部港町文化の大先輩であるデューク・エリントンの楽曲を、後輩のドクターが見事に組み換えてみせた傑作だった。異種交流の舞台に育った2人に流れる血でつながれた創造のパイプ、融合のマジック。余裕綽々である。ザ・バンドの面々は、1971年の段階でコレをやりたかったんじゃないだろうか。ところが悲しいことに、彼ら5人のうち4人までがアメリカ南部ではなくカナダ出身であった。寒そうである。
 ザ・バンドの曲はどうにも覚えにくい。頭の中でザ・バンドのお気に入りのナンバーを再生していると、いつの間にかほかの曲にすりかわっていることがままある。あなたはないだろうか。僕は馬鹿だろうか。なぜか耳に残りにくいその訳は、彼らがカナダ出身だからではないだろうか。憧れのアメリカン・ルーツ・ミュージックを、酷寒の地で指をくわえて見ていた彼らの脳みそは、知識と妄想でいっぱい。どの曲もグルーヴとアイデアに溢れかえって飽和状態を起こしているのだ。

 いっそのこと、遥か大平洋を隔てて極東の地に育ってしまったならば諦めもつくだろうに。細野晴臣のように、融合の結果であるはずのディープサウス音楽でさえひとつの素材に見立てて、さらにグローバルな融合を試す余裕も生まれてくる。ところが同じ大陸にあって同じ移民の国で、しかし悲しいことにちょっと寒いカナダ出身の彼らは、もうアメリカン・ロックがやりたくてウズウズしているのだ。
 知識と実力を一気に噴出してしまう余裕のなさ。僕がザ・バンドの音楽をそこそこ好きでありながら、どうも本格的にのめり込めないのは、彼らが生真面目すぎるからのような気がする。最初に聴いた時はスカスカだと感じて敬遠していた音楽が、いまや濃密すぎていまいち頂けないなんて、リスナーはなんと身勝手なことか。

山下元裕 from  " FLIP SIDE of the moon "



ニッポン人のためのアメリカンロック入門 

 私のザ・バンドの聴き方を考えると、なんとも、「終わりから始まった」ような気がする。「解散コンサートが映画になったんだってさ」なんて話をしていたのは中学生の頃。そしてその映画、『ラスト・ワルツ』を観たのは高校の頃だったか。さらにアメリカン・ニューシネマの代表作、『イージー・ライダー』を観て、劇中に使われたバンドの「ザ・ウェイト」がムーンライダーズの前身であるはちみつぱいの「土手の向こうに」の原曲であることに気付いたり...(ついでに言うと同じくザ・バンドの「ロンサム・スージー」は、同じくはちみつぱいの「大寒町」の原曲。「引用」ばっかりやがな、はちみつぱい)。

 まぁ、'70年代の大御所についてはだいたいこんなスタイルになるわな。世代的に考えて。しかしそこで研究熱心な(キマジメな?)私は「そんな彼らに対して、今、現在の我々は何を求めるべきか」なんてムツカシイことを考えてもしまう。
 例えば、このザ・バンド。そのほか、グレイトフル・デッドやC.S.N&Y、CCR、バッファロー・スプリングフィールドなどなど。気になる、ともかく気になる名前なのだけれど、ちょっと試しに聴いてみると少々地味なアメリカン・ロックが飛び出して来てちょっとタジログ、なんて経験、みなさんにもありますよね。

 しかしそんな彼らのサウンドが、日本の若者にグッとハマリ込み、滲み込んでいた時代もあったのだ。ここはひとつ、その時代にトリップしてみるのが良いのではないだろうか。忌み嫌われた'70年代もトレンド的には今は「アリ」だ。名画座の梶芽衣子特集、『野良猫ロック』や『女囚さそり』に、ベルボトムに長袖Tシャツのデザイン学校生が通ったりしている。正直、私の目の黒いうちに、もう一度街中でベルボトムを見るとは思わなかったよ(笑)。その「一環として」(?)こういうアルバムを聴いてしまう、というのはオイシイのではないかな、と考えている今日このごろ。実は結構、真夜中にバンドやデッドを聴きながら、ちびちびバーボンなんか飲んだりしているのだ。うまいぞ。

 なんなんだ、この文章は?「ほのぼのコラム」か?(苦笑)。今回のセレクションは私ではないのだけれど、ザ・バンドで『カフーツ』と言われたときは、正直驚いた。「『カフーツ』?『ビッグ・ピンク』とか『ステージ・フライト』とかじゃなくて?」という感じ。
 ザ・バンドといえば「衝撃の」とまで言われるデビュー・アルバム『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』('68)が有名で、セカンドの『ザ・バンド』('69)、サードの『ステージ・フライト』('70、秀作!)も評価は高い。'75年のアルバム『南十字星』も根強い人気を持つ佳作で...と、名盤の多いザ・バンドの歴史の中でも、この『カフーツ』はポコっと谷間に埋もれていると思うのは私だけだろうか?

 ところが、これが楽しいのだ。私の大好きな"ブラスとオルガン"にコロっと騙されちまったと言えばそこまでだが(笑)、バンドの他のアルバムにはないカラフルさに(ジャケットの陰鬱さとは対照的に)溢れている様に思う。ゲストで参加したアラン・トゥーサンの影響もデカイのかな。というか、実はほとんどトゥーサンのカラーだったりして。
 いやいや、トゥーサンだけをクローズアップしてはイケナイな。特筆すべきは奇才・ガース・ハドソンのキーボード・ワークだ。あの奇抜なアレンジと凝りに凝った音色によって、このアルバムは、いやザ・バンドの全ての作品は、永遠のイノチを与えられているのではないだろうか。ついでに言えば、現代の最先端アレンジャーであるミッチェル・フルーム&チャド・ブレイクのキーボード・アレンジとの共通点に気付く人もいることだろう。
 もしもガースがいなかったら、ザ・バンドはなんと寂しいバンドだったことか。生産工学研究所の学者みたいなあのオヂサンがバンドに果たした役割−いやいや、ミッチェル&チャドまで考えると「ロックの歴史に果たした」と言ってもいいかもしれない−は計り知れないものがあるのだ。

 どちからと言えば、アメリカ中西部のイメージのあるバンドなのだが(『イージー・ライダー』で個人的に固まっちまったかな?)、このアルバムはニューオーリンズ・ミーツ・ルーツロックという感じ。彼らの歴史からするとちょっと異質なアルバムなのかもしれないけれど、純粋にサウンドだけを楽しむならば、サウンドを浴びる快感を求めるならば、十分過ぎるほどの期待に応えてくれる秀作だと思う。
 以前私はっぴいえんどの紹介で歴史的名作『風街ろまん』や『ゆでめん(通称)』ではなく、問題作とされるラスト・アルバム『HAPPY END』を薦めたことがあったのだけれど、ううむ、ちょっとヒネクレているのかな?「異色作にこそ、そのバンドの底力あり」とも思うのだが...。

 「'70年代っぽいの聴きたいぜ、アメリカっぽいの聴きたいぜ、ロックだぜ、うおー!」と思った時に、ジャストミートでハマってくれる1枚。小難しい理屈なしにガンガンかけて、ジャック・ダニエルか何かをガンガン飲む。
 カナダ出身の彼らが描き出したアメリカの姿は、もしかしたら理想であり、想像であり、作り物なのかもしれないけれど、意外にも、遠く離れたニッポンのロックファンにはしっくり来るのではないだろうか。「自分の中から出てくるもの」ではなく、「追い求め、創り出すもの」という意味で共通しているのだ。

 「'70年代、アメリカ、ロック」−なんのことはない、彼らに求めるものは、あまりにも当たり前すぎるこれだ。

定成寛 from " サダナリ・デラックス "






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