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98/11/10
第八回
読み切り
ミニコラム
'The Cruel Sea'
「クルエル・シー」
その2 逗子海岸に暮らす






'The Cruel Sea'

「クルエル・シー」

その2 逗子海岸に暮らす





 前々回 に引き続き、海辺の生活について。4回シリーズの2回目である。

 神奈川県の逗子市は、ほぼ私の「故郷」である。4歳から24歳まで20年間住んでいた。学生生活の全てをここで過ごし、現在のところ比率として一番長く住んでいたところ、である。
 「逗子の海なら知っているよ。毎年夏になると行くんだ」という方もいらっしゃるかもしれない。残念ながら夏の話はここには書かない。皆さんの知らない、シーズンオフの逗子について書こう。


 ここ20〜30年で逗子湾が一番荒れたのは'79年10月の台風だろう。波は砂浜を越え、更に海岸線を走る湘南道路を越え、海に臨むマンションやホテルの一階にまでも押し寄せたと聞く。有名なデニーズ逗子店(当時出来立て)などは店内にまで海水が入り込んだとか、込まなかったとか。
 ともかくこの時の大波で、砂浜の砂が沖に流されて逗子湾は一層遠浅となり、逆に浜辺が狭まってしまった。現在の海岸線はその時に作られた。昔はもう少し浜が広かったように記憶するのだが...。

 そしてこの台風は我が家も無縁ではなかった。家は海岸から遠く離れた逗子駅裏の住宅街にあったのだが、海岸にヨット−金持ちの乗る豪華なヤツではなくて、戸塚ヨットスクールでお馴染みの小さな競技艇−を置いていたのだ。
 波の押し寄せるなか、地元のヨット仲間によって移動作業が行われた。可能なものは陸側の空き地などに運び、不可能なもの−運搬に危険を伴うもの−は見捨てる。この「見捨てる」というのが一見、非情のように思えるが、「海の掟」「海の厳しさ」でもある。運ぶ人間が波に呑み込まれてしまっては堪らないのだから(親の勧めるヨットの世界を放棄して、音楽に走った私がこう書くのも実に僣越なのだが...)。
 平和な海水浴場として知られる逗子海岸だが、ひとたび台風が押し寄せると命の懸かった過酷な場所に一変する。まさに「牙を剥く」といった感じだ。これが都市部との違いであろう。どんなに巨大な台風が来ようとも、表参道の交差点で命を落とす人は−マールボロ・マンの立て看板が強風で飛んで来ない限り−いない。横須賀線でたった1時間のところなのに大違いだ。
 翌日、浜に行った父は、粉々になったヨットの残骸−運び出せなかったもの−を燃やす知人を見て「気の毒で声が掛けられなかった」と語った。

 村上春樹の短編で、台風の高波に呑まれてしまう少年と犬の話(「七番目の男」)があったが、あれは、辛かった...。前述のような経験があるので、映像として、逗子海岸が浮かんでしまうのだ。緻密な描写と相まって、まるで自分の体験のように錯覚してしまった。波の中から少年が笑いかけていた(ように見えた)という話なのだが、違和感なく、「十分に考えられる話だな」と思った(ちなみに村上春樹も芦屋の海辺育ちである)。

 逗子の実家を出てからもう10年近く経つ。今、改めて逗子の海について考えると、思い出されるのはこうした夏以外、シーズン・オフの風景ばかりだ。もっともこの「シーズン・オフ」という言い方もヘンなのだが。地元の人間からすれば秋にだって、冬にだって海はそこにある(笑)。観光客にとっては確かに夏が「シーズン」かもしれないけれど。
 海辺の高校の三年の時、授業中あまりに喋るので窓際の一番前に座らされたが、前過ぎたため逆に死角となり放っておかれて(笑)、毎日窓から海ばかり見ていた。その高校が私立の男子校(しかも少々海軍式、色気全くナシ)で、海岸マラソンばかりやらされた。そしてその途中、地元の共学校カップルを発見すると、やっかみでわざと砂ぼこりを上げたりしていた(今考えると非常に情けない)。
 高校卒業後、車が使えるようになると、友人とのちょっとした話に海辺を使っていた。地元の人間にとっては巨大な「オープン・カフェ」のようなものなのだ。都心の人ならば「ちょっと喫茶店で」というところで海岸に行ってしまうのである。これは実に便利だ。まず海岸はタダだ。1時間いても、2時間いてもタダ。喫茶店のように水を継ぎ足して、「出て行け」と催促するような店員も(当たり前だが)いない。いたらコワイ(笑)。
 喫茶店に比べいいことはまだある。なにしろ「すいている」。背中合わせに隣の客がいて、大声で話されて気が散る、ということもない。趣味の悪い有線などもかかっていない。秋も冬も、昼も夜も良く行った。やはりこれも夏以外、である。


 音楽雑誌を読んでいたところ、「海辺に住んでいると、打ち上げられた魚の死骸なども見てしまい、その残酷さを知ってしまう」と語っているミュージシャンがいた。ムーンライダーズのヴァイオリン兼トランペット奏者(たまにヴォーカル)の武川雅寛氏である。彼は実は私と同じ逗子出身で、現在は隣の鎌倉に住んでいる。なるほど、みんな同じようなことを感じているのだなぁ。毎週末、いや、平日の放課後にまで釣りをしていた小学生のころから、私もそれを感じていた。まさに「クルエル・シー」だ。

 そんな彼の作った曲、「A FROZEN GIRL, A BOY IN LOVE」は私のイメージする冬の海辺を見事に歌いあげている(作詞は滋田みかよ)。



同じ冬 / 同じ国で / 同じ海 / みつめてる / 肩寄せ合い
約束さ / 夏に来よう / 太陽が / 待ってるから


「A FROZEN GIRL, A BOY IN LOVE」 作詞・滋田みかよ一部抜粋



 この曲、アレンジも凄いのだ。乾いたパーカションや、海鳥のようなコーラス。20代の頃に友人と見た冬の海辺がありありと蘇ってくる。朗々とした武川氏のヴォーカルも、実に説得力がある。

 最後に地元民からのサービス情報。逗子海岸は9月がお薦めである。9月1日、高校の始業式を終え、海まで散歩すると...8月とは明らかに空気が違っていた。「こっちの方が断然イイ」と思った。逗子出身の友人に話すと、みんな「そうそう、9月がイイよね」と盛り上がる。但し、クラゲがイッパイいる。「9月の海はクラゲの海」なのだ(実はこれもムーンライダーズの曲名)。泳ぎたいという方はそれなりの覚悟を。泳がない方は9月の浜辺をご満喫下さい。


 さて「横濱JAZZプロムナード'98レポート」が割り込んだ「壱頁随筆」ですが、今回より「クルエル・シー」シリーズ再開。次は就職後の「千葉の海」です。




−登場したレコード−



'DON'T TRUST OVER THRTY'
moon riders
D32A0246 Pony Canyon
1986







このコーナーは短いサイクルで更新されます



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98/08/25 第五回 'Let's go out tonight' みる
98/09/10 第六回 'The Cruel Sea'〜「クルエル・シー」その1蒲田・羽田界隈 みる
98/10/15 第七回 「陽のあたる大通り」〜横濱JAZZプロムナード '98 レポート みる





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