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98/07/05
若人のための
日本映画入門
戦後黄金期編











































































大島渚の革新
「松竹ヌーヴェル・ヴァーグ」を観よ




 ヌーヴェル・ヴァーグ−映画に興味を持つ者ならば、一度は通る世界である。『気狂いピエロ』('65年・仏、監督・ジャン=リュック・ゴダール)は観ただろうか?橋脚に激突している車に火を放ち、燃え上がる煙を必要以上に長く映す編集や、長い線路をひとり歩いて、そっと枕木に腰をおろす演出、そして何よりあのエンディングを観て、その斬新さを身体で感じた人もいるだろう。
 イタリアの新しい波、フェリーニの『甘い生活』('59年)はどうだろう。アニタ・エクバーグの妖艶さ、有名なトレビの泉のシーン、そして全体を支配するデカダンスの香りに、頽廃の美を見た人もいるかもしれない。
 それでは日本のヌーヴェル・ヴァーグは?ヌーヴェル・ヴァーグは何もヨーロッパ映画の専売特許ではない。日本でも、同時代的に呼応して「和製ヌーヴェル・ヴァーグ」を創り出した監督たちがいたのだ。バド・パウェル(p)に呼応して、早くも'50年代にハード・バップ・ピアノを弾いていた守安祥太郎(p)のごとく、である。

 篠田正浩、吉田喜重、高橋治などの新人監督達が意欲的な作品を発表したが、その代表格はなんといってもこの大島渚である。
 大島渚−若い人達はどの様な印象をお持ちだろうか。「朝まで生テレビ」の”バカヤローおじさん”か、ボキャブラの審査員か、『戦場のメリークリスマス』(昭和58年・松竹)の監督、「パーティーで野坂昭如に殴られた人」などというミョーな記憶のある人もいるかもしれない。しかし、実は、大変な人なのである。

 京大卒。在学中は学生運動の闘士であったことは有名である。そして松竹に入社。あのおじさんは最初は松竹にいたのだ。心温まる、ホームドラマの松竹映画−そこに大島は爆弾を仕掛ける。監督デビュー作『愛と希望の街』(昭和34年・松竹)、明るいタイトル、ハトを軸とした貧しい少年と富んだ少女の交流、正統派「松竹大船調」人情ドラマの最後に、大島は大どんでん返しを持って来た(結末は是非ご自分の目で)。時の大船撮影所長はあまりの過激さに激怒したという。
 そして第二作、カラー・ワイドで作られたこの作品は、松竹の目を誤魔化すことなく、ストレートに、過激に作られた。


 『青春残酷物語』(昭和35年・松竹)−まず女子高生は清楚であるべし、という常識を覆した。行きずりの男の車に乗り、家まで送らせる真琴(桑野みゆき。小津の『彼岸花』(33年)ではあんなによいこだったのに...)。危険な遊びは案の定、事件を呼ぶ。下心のある中年男がホテルの前に車をつけて、あわや連れ込まれそうになる。そこに偶然通りかかった大学生・清(川津祐介)。大島は大学生は賢く真面目という常識もブチ壊す。真琴を助け、中年男から金を巻き上げる。翌日、その金で遊びに行く二人。貯木場に浮かぶ材木の上で清は真琴を抱いた。
 真琴は清を慕い、家を飛び出して彼のアパートで同棲を始める。大学生の下宿に転がり込んで、そこから通学する女子高生。今の感覚から言ってもなかなか大胆である。当時の人々の目にはどの様に映ったのであろうか...。生活しようにも金のない二人、手早く稼げる「アレ」−二人が出逢った時のテを使う。見知らぬ男の車に真琴が乗り、わざと誘惑、そこに清が現れて男をゆするのだ。
 しかしいつかは破綻する。ゆすられた者の一人が、警察に通報し清は連行される。情状酌量とはなったものの、二人の間に気まずい雰囲気が漂う。「別れよう」と切り出す清。一旦は別れた清だが、かねてから目を付けられていた街のチンピラと諍いを起こし、「真琴を貸せ」と言われると、まだ思いが断てないのか必死に拒み続け、殴られて死ぬ。
 独りで彷徨う真琴。ふらりと車に乗るが我に返り降りたくなる。路上に倒れる清の亡骸(なきがら)に気づいたのか、はたまた虫が知らせたのか、叫びながらドアを開け、飛び降りる。猛スピードで引きずられ、顔が崩れ、即死。

 ラストシーンはワイドスクリーン一杯の、二人の死に顔。この結末は本当に暗い。


 「心温まるホームドラマの松竹」で、よくぞこんな映画を撮ったものだ、と思う。大島カントク、実はこんな過激なチャレンジャーだったのだ。しかしこのあといささか頑張りすぎた。2作後の『日本の夜と霧』(昭和35年・松竹)がその内容の過激さから上映打ち切りとなってしまったのだ。この事件を期に大島渚は松竹を退社(解雇という説もある)。独立プロを旗揚げし、ATG(アートシアター・ギルド)をホームグラウンドに『絞死刑』(昭和43年・創造社/ATG)、『新宿泥棒日記』(昭和44年・創造社/ATG配給)、『儀式』(昭和46年・創造社/ATG)といった傑作を発表し続けた。51年には阿部定の物語『愛のコリーダ』(日仏合作)を、そして58年には皆さんにも馴染みの深い『戦場のメリークリスマス』(日英合作)を発表した。



『青春残酷物語』

SB-0010 松竹ホームビデオ


 なるほど、こうして要約すると、なかなか立派な人だということが痛感出来るな。しかしそんな大島監督が新作の製作に着手出来ない(どうやら予算的な問題らしい)というのは残念なことである。次回作はハリウッドで活躍した伝説の日本人俳優「早川雪洲」の伝記映画で、主演は再び坂本龍一...のはずなのだが。一昨年に脳梗塞で倒れ、健康上の問題も気になるところである。

 うーんそれにしても、当時の松竹は一体どういう「計算」をしていたのだろうか。昭和35年ごろ「松竹ヌーヴェル・ヴァーグ」の名のもとに、この大島渚を筆頭に前述の篠田正浩、吉田喜重、高橋治ら若手助監督を監督に据えて、自由な作風で撮らせたまではよかったのだけれど...「飼い犬に手を噛まれる」というか、予想以上の過激さで上映中止事件まで起こす羽目になってしまって。

 いわば「予想を超えた叛乱」。火を付けた松竹自身、燃え上がる若い炎を消し止めることは出来なかったのだ。「松竹大船でここまでやっていいのか、映画でここまでやっていいのか」という感想もあったそうだ。
 前衛精神に日本的攻撃性が加わった−日本のヌーヴェル・ヴァーグ、「松竹ヌーヴェル・ヴァーグ」の世界を是非探究して欲しいと思う。


松竹ヌーヴェル・ヴァーグ・ニュース

 ここで紹介した「松竹ヌーヴェルヴァーグ」の名作が一気にヴィデオ化された!発売は98年6月21日。あまりの偶然に驚いてしまう。銀座・山野楽器では目立つところに平積みになっていた。詳しくはこちらを。


大島渚監督最新作

 ページ作成時点、98年7月には「次回作はハリウッドで活躍した伝説の日本人俳優「早川雪洲」の伝記映画で、主演は再び坂本龍一」と書きましたが、その後予定は変更され、大島監督の最新作は御存知、『御法度』。サダナリも前売りを買って観に行きました。松竹によるオフィシャル・サイトはこちらです。なんか、まぁ、賛否両論の様ですが...。さてそうなると、早川雪洲はどこ行った?


この『青春残酷...』は松竹から廉価版ビデオが発売されています




















































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勅使河原宏の芸術
和製アート・フィルムの傑作中の傑作




 冒頭で書いた『黒い十人の女』(昭和30年・大映・市川崑監督作品)を観た時に、真っ先に思い出したのがこの『砂の女』(昭和39年・勅使河原プロ)だった。暫くして、「映像もファッショナブルだし、ストーリーも面白かったです」という『黒い十人の...』に対する若い人達の感想を聞く度に「この人達が、『砂の女』を観たらどれくらい驚くだろうか」と思った。とにかくこの映画は凄いのだ。

 勅使河原宏監督−怪物である。昭和2年、華道草月流家元、勅使河原蒼風の長男として生まれる。昭和25年、東京芸術大学美術学部油絵科を卒業。草月アート・センターのディレクターを務める傍ら、昭和37年、『おとし穴』で監督デビュー。この作品でNHK新人映画監督賞を受賞する。そして2年後に監督したこの『砂の女』でカンヌ映画祭審査員特別賞に輝いた。以降の活動はまさに超人的。陶芸、作庭、舞台美術、演出、最近ではインスタレーションやオペラの演出なども手がけている。およそ「アート」と呼ばれているものは全てやってしまう、この人こそ本物の「アーティスト」である。
 草月流第三代家元にして映画監督。恐ろしい人だ。「家元の余技」などではなく、最近でも『利休』(平成元年・勅使河原プロ)、『豪姫』(平成4年・松竹/勅使河原プロ)といった勅使河原監督「ならでは」の秀作を世に送り出している。
 前述の大島渚たち「松竹ヌーヴェル・ヴァーグ」と同時に、この勅使河原宏や羽仁進(『不良少年』昭和36年・岩波映画、他)らは、独立プロダクション系のヌーヴェル・ヴァーグ監督として話題となった。しかし、どうもこの勅使河原に関していえば、あまりに超人的でそうしたムーヴメントを超越した存在であるとも思うのだが...。


 一面を砂に覆われた謎の村。東京からハンミョウの採集に来た男(岡田英次)が、帰りの便を逸して、そこに泊まることになる。宿をとったのは砂の穴の底にある不思議な家。砂の絶壁を縄梯子で降り、家の中には電気もない。何よりも奇妙なのは只一人の住人である妙齢の女(岸田今日子)だ。聞けば去年、主人と娘を砂に飲み込まれて亡くしたという。

 深夜、女は家の回りの砂掻きをする。毎晩、朝までやるという。しかしこのあたりから雰囲気が奇怪(おか)しくなって来る。村の男どもが「助っ人の道具を持って来たぞ」と、穴の上から荷物を降ろす。砂掻きを手伝おうというと「最初の日からは悪いから...」という。何か、奇怪しい。
 翌朝、「砂にかぶれるから」と一糸纏わぬ姿で眠る女を横目に、男は家を後にする。ところが、絶壁にはかかっていた筈の縄梯子がない。「すみません」「すみません?どういう意味だ」「女手ひとつじゃ無理なんですよ。ここの生活」...。

 女の言葉から、こうして捉えられた男は自分だけではないということを知る。他の村人どももグルだった。これがこの村の「システム」なのだ。脱出を試みる男、止める女。揉み合ううちに砂の中で抱き合い、愛し合う。不気味に挿入される土砂崩れのイメージ...。

 ある日、カラスを捕らえようと作った落とし穴に水が溜まっていることに気付く。ここ数週間雨は降っていないのに...水が湧いたのだ。何日かして、女が腹痛を訴える。子宮外妊娠だった。「いやだよ、いやだよ」と言いながら、女が穴の外に出て行く。残された男は何故か自分が東京に戻ろうという気が失せていることに気付く。縄梯子がかかったまま、いつでも逃げられる状況だというのに...。ラスト・シーンは書類のアップである。

 「失踪宣言。七年以上生死不明の為、失踪者とする。本籍地・東京都新宿区淀橋。本名・仁木順平。昭和三十九年一月十日。東京家庭裁判所」


 ヨーロッパ系アート・フィルムに夢中、という人も多いだろう。「日本のそれも観たい」と思って件の『黒い十人の女』に足を運んだ人もいるに違いない。あの作品も奇妙な男と冷酷な女たちを、洗練された文法で描いた和製アート・フィルム(フィルム・ノワールも少々)の佳作であったとは思う。しかし、完成度が違う!この『砂の女』こそ傑作中の傑作。日本語英語仏語で書かれた粟津潔デザインのタイトルを、武満徹の前衛的な音楽効果を、そして計算しつくされた勅使河原の映像美を、あなたは知らずに生きて行くというのか。この作品、今回の特集のイチオシかもしれない。本当に、喉が、カラカラになる...。


 『黒い十人の...』を観た人−特に「アート好き女子大生」など−は絶対にこの『砂の女』を逃すな!そしてもう一本、『他人の顔』(昭和41年・東京映画/勅使河原プロ)も観よ!この『他人の顔』も傑作!『砂の女』同様、安部公房原作の映画化である。これも素晴らしい。甲乙付けがたく、どちらを紹介しようか迷ったほどだ。女優の緒川たまきもこちらの『他人の顔』がお気に入りとか。
 この2本、そしてデビュー作である『おとし穴』を観ると、当時勅使河原と安部公房がこだわり続けていた「自己の不毛さ」というテーマが理解出来るはずである。アイデンティティの崩壊−あの時代(丁度私が生れた頃だ)にこのような言葉が一般的だったのかどうか判らないが、彼らが追いかけていたのはまさにその命題である。今から35年前に、そのテーマ。凄い。

 ともかく勅使河原に触れよ。最近流行の「マルチ・アーティスト」などとは比べ物にならない、天が与えた本物の才能に圧倒されるはずである。


この『砂の女』はソニーからビデオが発売されていましたが廃盤です








つぎは
実験と前衛の2本立て
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