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98/07/05
若人のための
日本映画入門
戦後黄金期編






名匠・小津安二郎の世界 







■ その他の作品 ■




『一人息子』 (昭和11年・松竹蒲田/大船)

−過酷なまでの母子の描写−


 『一人息子』(昭和11年・松竹蒲田/大船)は記念すべき初のトーキー作品である。一九二三年、信州。野々宮つね(飯田蝶子)は紡績工場で働きながら、女手ひとつで一人息子の良助(日守新一)を育てている。良助を中学校へ上げるのは貧しいこの家では大変なことなのだが、苦心の末に決心し、「中学校へ行くだ。その上の学校にも行くだ。そんで偉くなるだ」と言う。

 一九三六年・東京。立派に成人し、東京で暮らす良助をつねが訪ねる。しかし息子の家は東京のはずれ。母の知らぬ間に妻と子もいた。夜学の数学教師をしている息子は、母親が想像していたよりも出世していないようだ。そしてそれを気にしているのは母よりも、むしろ息子の方であった。
 近所の空き地(洲崎の埋め立て地)に散歩に行き、そっと地面に腰を降ろす二人。穏やかに、しかし無念そうに息子は口を開く...

 「お母さんに苦労かけてまで、無理して東京の学校に来るほどのことはなかった...ひょっとすると僕は小さい双六(すごろく)の上がりに来ているんですよ」

 翌日、隣家の子供が馬に蹴られて医者に担ぎ込まれる。息子は母をもてなそうと苦労して工面した金を、その入院費にと差し出してしまう。良助と母と、良助の妻、幼子の四人で東京見物に出掛けようとした矢先の出来事であった。残念ではあるが、その献身的な姿に安心する母であった。

 再び信州、母は紡績工場の同僚に東京の話をする。「あの子もうんと偉くなってなぁ」とは言うものの、その表情には辛さが滲み出ていた...。

 「小さい双六の上がり」−辛い台詞である。埋め立て地のシーン、見事な名場面だと思う。60年以上も昔−私の親が生れる前−の映画に泣かされるとは思わなかった。じっと自分の手など見てしまう、一人息子のサダナリであった(苦笑)。
 なおこの作品の頃のチーフ・キャメラマンは茂原英雄氏。トーキーの技術も同氏が担当しており、オープニング・タイトルには「茂原式システム」のクレジットもある。松竹はこの年の1月に撮影所を東京・蒲田から神奈川の大船に移転、この作品は時に「蒲田/大船作品」と呼ばれることもある。



『風の中の牝鷄』 と 『東京暮色』

−ふたつの異色作−


 『風の中の牝鷄』(昭和23年・松竹)は戦後二作目。ちょっとした異色作である。ある家の二階に間借りして暮らす母・時子(田中絹代)と幼子。終戦から3年が経とうというのに、夫の修一(佐野周二)は未だ還って来ない。
 ある日、子供が熱を出す。医者に連れて行くと大腸カタルだと言う。入院が必要だが、貧しい母子には支払う金がない。鏡の前で呆然と自分の顔を見る時子。決心して、一晩だけ自分の身体を売る。
 暫くして修一が復員する。幸せが帰って来たかに見えるが、夫婦の会話はぎごちない。子供の病気のこと、完治したことまでは話せるのだが、もちろんお金の事は話せない。しかし、あの夜の出来事はやはりばれてしまい、修一は激怒。階段のそばで二人は揉めて...。

 小津が「戦後・敗戦」の心情を最もストレートに表現した作品。穏やかな他の作品と比べて、これは体温も高く、作図も辛辣だった。ちょっと異色だが、面白い作品だと思う。
 ネガティヴな小津作品としては昭和32年の『東京暮色』(松竹)があるが、こちらは「失敗作」とも言われている。

 杉山明子(有馬稲子)は銀行役員を父(笠智衆)に持ち、恵まれた環境に暮らす娘のように見えるが、バンドマンなどと付き合い子供まで身ごもっていたりする。そしてどうやら、死んだはずの母親が実は自分たちの暮らす東京で、まだ生きているらしいことを知る。やがてその母親(山田五十鈴)に出会うが、そこで「自分は今の父親の子なのか」という新たな疑問が生まれる。自らの出生の疑問、愛人のバンドマンの不誠実さに苛まれた明子は列車に飛び込んで...。

 脚本家の違いによるものが大きいようだ。『風の中の...』は斉藤良輔と小津、『東京暮色』はいつもの野田高梧と小津の共作である。
 『東京暮色』にはちょっとしたエピソードがある。この頃、実は小津自身がいつもの「小津調」に飽きていたフシがあり、ちょっと違ったもの−暗さや激しさ−を描いてみたいと考えていたそうだ。しかし脚本の野田高梧氏はそうした激しさを直接映すことはせず、その「後に来るもの」を描きたいと主張したらしい。
 実は私は長らくこの関係を逆だと思っていた。実験的な脚本家である野田氏が、新しいことに挑戦したいと考え、小津が映像作家として自らの世界を守ろうとしていた、と勝手に考えていたのだ。これは全く違う、正反対の邪推であった。

 逆だったのか...。そんなことを考えながら、この二作を考えるとなるほどその完成度に違いがあり、脚本家と監督のフェイズが一致している『風の中の...』、若干ズレつつ進んで行く『東京暮色』とも感じられる。
 しかし『東京暮色』とて佳作、あの暗さと硬さ−硬質な感じ−は殆どドイツの文芸映画か、イタリアのリアリズモ映画だった。イラストレーターの安西水丸氏が絶賛しており、どんな作品なのだろうかとずっと気になっていた。6年ほど前のこと、ものすごい期待を抱いて、今は無きams西武三軒茶屋店のミニシアターで行われた「有馬稲子特集」まで駆けつけたのだが...その陰鬱さに驚いた。しかし、こんな小津も悪くはないと思う。






 ここまでにしよう。このままでは全作品書いてしまう(笑)。小津は実に恵まれた監督だと言える。戦前の作品には一部、現存しないものがあるが(デビュー作が消失してしまったのが残念)、代表作といえるものはおよそ揃っており、名画座での特集やTV放映も多い。そして何よりヴィデオが揃っている。監督の中には特集も組まれなければ、ヴィデオもない、TV放映など夢のまた夢で、「観るだけでも大変」という人もいるのだ。

 松竹ホームビデオから20タイトル以上が廉価版で発売されており、いずれも\3000台で入手可能である。大映、宝塚映画での作品もレーザーやヴィデオで入手可能。松竹からは先日「小津安二郎・大全集・全32巻」も出た。価格は\109,440、小津に人生を懸けたい方はこちらを。
 レンタルで観るテもある。ちょっとしたレンタル・ヴィデオ・ショップならば数本はあるだろう。ここに書いた文章が探究の手助けになれば幸いである。

 最後に一点だけ注意を。この小津作品、ゆっくりと、時間をあけて観ることをお薦めする。なにしろ似たようなタイトルに、似たような俳優、似たような設定なので一気に観ると区別がつかなくなる(笑)。この特集を書くにあたって、私も少々苦労した(小さなエピソードについて「どっちの作品だったかなぁ」などと判らなくなってしまったのだ)。気合を入れて「小津安二郎3本立て」を観に行き、なにがなんだかわからなくなってしまった友人もいる(笑)。

 高級な蕎麦を食すが如く、ゆっくりと、微妙な味わい噛みしめながら楽しむのが、小津作品満喫の奥義と見た。







■ 小津を知る作品 ■



『東京画』('85年・西独) − 『ベルリン天使の詩』の監督、ヴィム・ヴェンダースが'83年4月、ドイツ映画祭のために来日、その時に撮影した16ミリを元に編集した映像詩である。テーマは「何かが見つかるだろうか、小津映画の風景や人間がまだ残っているだろうか」、小津に対する一大オマージュといえる。
 オープニングはいきなり『東京物語』がそっくり複写されており、ちょっと驚く。ここでのヴェンダースの言葉、「私は彼の映画に世界中のすべての家族を見る、私の父を、母を、弟を、私自身を見る」「我々はそこに自分自身の姿を見、自分について多くの事を知る」は私が知る限り最高の小津への賛辞である、が、このあとがちょっと...(苦笑)。
 肝心の東京の描写がなんとも散漫で...ガイジンの観た「奇妙な東京」を延々と映しているという感じもしてしまう。パチンコ屋、クギ師、ゴルフ練習場、食品サンプル工場など、それなりに面白い視点と映像だが、いかんせん冗長でテンポが悪い。音楽に至っては苦痛すら感じるほどだった。
 念のため、私が個人的に「映像詩」を受け付けないというわけではないヨ。『サン・ソレイユ』のクリス・マイケルや、『トーキョー・メロディ』のエリザベス・レナードなどには驚嘆した。ヴェンダースの他の作品はもちろん支持するが、まぁこれは実験作といったところか。
 笠智衆、厚田雄春等「小津組」の重要人物がかつての貴重なエピソードを披露する部分を評価したい。公開当時に音楽家・坂本龍一が徹底的に酷評していたようにも記憶する。


『ストレンジャー・ザン・パラダイス』('84年・米/西独) − これには驚いた。とんでもないところで小津が出てくる。始まってすぐ、主人公ウィリー(ジョン・ルーリー)と悪友が競馬の予想をする。その出走馬の名前が...'Late Spring'、'Passing Fancy'、'Tokyo Story'、それぞれ『晩春』『出来ごころ』『東京物語』の英題である。もう12年も前になるが、'86年春の公開直後に−監督・ジム・ジャームッシュに対するなんの予備知識もなく−観た私はこの一瞬「何が起こったのか」と思った。「え?小津?なんだこりゃ」。
 しかしそのおかげでこの難解な映画の理解が大幅に楽になった。極めて静的な作図、観念的な物語の展開等々、一緒に行った美大生の友人は「わけわかんない」を繰り返していたが、当時すでに小津を知っていた私は「なるほど、小津の感覚で今のアメリカとアウトサイダーの移民を撮るとこうなるかもしれないな」と思い、すいすいと飲み込めた。こちらは必見の名画である。


『恋人たちの食卓』


『恋人たちの食卓』('94年・台湾) − この作品の監督、アン・リーは現代に於ける小津の最高の継承者、もっともわかりやすく小津的な作品を撮る人物である。しかしそんな監督がお隣の台湾から登場するというのが実に不思議でもある。
 '94年の作品『恋人たちの食卓』がベストだが、その前作『ウェディング・バンケット』('93)も、さらにその前のデビュー作『推手-プッシング・ハンズ』('90)も面白かった。この3本は「父親三部作」といわれ、そのモチーフ、父と子、都会の生活、結婚の問題などいずれも小津的テーマで貫かれていた(『東京物語』からの構図の引用などもあった)。
 つづきはこちらで。今年1月発表のページで「アン・リーと小津」について既に詳しく述べてある。この映画、この監督も必見である。


『浮き雲』


『浮き雲』('96年・フィンランド) − フィンランドの監督、アキ・カウリスマキは小津の持っていたちょっとストレンジな面を継承している人物である。この『浮き雲』、面白く感動的だが実に奇妙な映画であった。感情表現が異常なまでに冷淡−声を上げて狂喜するようなシーンでも「嬉しそうな顔」をするだけだった。構図がおかしい−動かない構図、人物を正面から見据えたショットの連続だった。小津にかかせない電車のモチーフも出てくる。「な、なんだこの雰囲気は?」と思ったら...案の定、カウリスマキは「小津の影響」を明言していた。
 これもこちらのページで詳しく説明してある。この映画、あと数回は観たいと考えている。名画である。


『小津安二郎伝・生きてはみたけれど』 ('83年・松竹) − 小津没後20年記念作品。松竹製作のドキュメンタリーである。監督は井上和男。この作品は「入門編」として非常に便利だ。故郷の風景から同級生の思い出話、兄弟へのインタビューの他、年代順に代表作を説明。予告編的に名場面を観られるし、出演者のインタビューまである。これから小津と時間をかけてじっくり付き合いたい人にお薦めの一本といえる。









以上、小津安二郎の世界でした

さていよいよ、更なる偉才たち、日本映画名作オンパレードです
まずは「抱腹絶倒、日本映画の底力を知る2本立て」です

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